この時期における神の導きの業を、一つ二つ挿入する必要がある。先生自身が予想していた通り、全く面識のない人々が、他からの教示によって本人の意志に関係なく、監獄の中で先生を迎えるようになっていた。そのはじめの話は大体次のようである。
 金氏という青年がいたが、彼は日本の陸軍士官学校の砲兵科を卒業して、日本軍に服務中、大尉として終戦を迎えた人である。
 終戦後、彼は北韓の人民軍に入隊して、ある砲兵司令官の信頼する臣僕として服務していたが、その中でも年一回づつ北韓の機密を南に流していた人であった。
 ところが、その上司である砲兵司令官が軍事最高会議のため、中国に出張中にこの事実がとうとう発見され、当初死刑の宣告を受けて死ぬ日を待っていたのであった。
 その上、自殺を企てて発覚され、鉄の鎖でしばられていた。その青年は何の信仰も持っていなかったが、ある日の夜、不思議なことに夢うつつに、白髪の老人が現われて、金氏の名前を呼びながら、「お前は絶対に死なない」と言われた。またつけ加えて「おまえは南から平壌に上ってくる青年をお迎えする準備をしなければならない。」と言われるのであった。しばらくして砲兵司令官が帰国してみると、自分の愛していた部下が死刑宣告を受けて獄につながれていることを知り、直接自分が身分を保証するという条件でやと死刑を免じてもらい、四年八ヶ月に減刑されたのであった。
 ところが、減刑で喜びのあまり、つい南から来られる先生を迎えなければならないというおじいさんの話を忘れ、そのまま約一ヶ月が過ぎた。
 ところがある日のこと、前と同じように夢うつつの中に再び、そのおじいさんが現われ、「お前は私が話したことを忘れてしまったのか」と叱るのであった。それから後この人は十九日間、体が痛くてどうにもこうにもできないような苦痛を与えられた。
 その頃、金氏の父親は、愛する子供が死刑を宣告されたことを知って本当に心を痛めて病気になっていたが、その上自動車にひかれて死んでしまっていた。すると、今度は幻の中に父親が現われて、「おじいさんがお前に、南から来る青年を迎える準備をせよと言ったけれど、その青年をこれから私が見せてやるから、私の後をついて来なさい。」と言いながら、先に立って案内するのであった。
 金氏はお父さんの後を追って行くと、宮殿のようなところに出た。そこに階段があって、それを三段上ってそこで拝み、また三段上る。それから次には一段上っては拝み、また一段上っては拝み、というふうにしていってその終りには輝かしい玉座があり、そこには一人の青年がかけていた。そして導いてくれた父親が「顔をあげてあの方を見なさい」と言われて顔をあげたけれど、あまりにも光輝いていて見る事ができなかったのである。帰りに階段を全部降りてしまったところで、父親は消えてしまっていたという。
 しかし、先生はあらかじめそのように待っている青年がいることを知っておられた。そして先生が入られた監房はその青年がおる監房であった。その青年は初めて先生を見た時から心をひかれて、何とか話してもらいたいという衝動を感じていたのだが、三日目に先生に対して「私達にお話ししてくれませんか」と丁寧にお願いした。
 そこで文鮮明先生はこの人達に、神のみ旨と人類のために先生自らが歩まれてきたその路程を、「ロレンス」という人の名にたとえて、話された。その話が終ってから、先生はこの青年に向って「あなたは誰にも言えない自分だけの悩みを持っていないか。」と言って、おじいさんが現われたときの話をその青年に聞かれた。
 それでその青年は驚いて、今までの出来事を先生に全部くわしく語った。そこで初めて自分が幻の中でおじいさんに教えられた玉座に座っていた青年は今自分が話している人であるということを知るようになった。その時からその青年は先生についていくことを決心したのであった。
 これと似た実例を一つつけ加えて先へ進もう。
 約二・三千名を収容しているこの収容所の総監督をしている人は、朴氏と言って、彼も刑を受けて服役中の囚人の一人であった。
 彼は青年の時は、基督教に従順であったが、現実的な事情により、人民軍の警備隊に入隊し、将校として働いていたが、容貌から見ても、思想的に見ても人望の厚い人であった。
 一方、文鮮明先生は、その収容所の性格、雰囲気、そして自らの特異な立場等を考えて、ふだんはほとんど語らないで過ごされた。
 ある時、先生が作業場での昼食の時間を利用して、総監督である朴氏に近寄って、洗礼ヨハネが失敗したことについて話された。
 既成教会の全ての信者たちは、洗礼ヨハネは偉大なる聖者として、絶対視する傾向があったが、もともと基督教の幹部であったその人は「そんなことはあり得ない」とかえって先生を叱ったのだった。その人の一言は先生の生命を左右する立場にいたのである。例えば、その監督が、あの人は思想的に不安である、あの人は反動分子であると、刑務所の幹部に話したら、即刻先生の生命が危険にさらされるのであった。
 そうするとそのような観点から見ると、先生がそういう話をするということは、その人が天から見て意義のある人だということを先生は知っておられたということになる。そしてその朴氏が「そんな事はあり得ない」と言って反発した時、先生は「あなたがそんなふうに言ってはいけないんですね」とおっしゃられた。
 その晩、総監督のところにも幻の中におじいさんがあらわれ、「今日お前に話して下さったあの青年はどういうお方か知っているか。そのお方の言うことは全部正しい、絶対にそのお方の話についていかなければならない。」というふうに教えられた。
 あくる日の昼の時間にも、先生はその人に近づいて行って話をした。その人は昨晩おじいさんから警告を受けているから、本当に申し訳なくて黙っているので、そういう時に先生が、「昨晩何か夢を見なかったか」と聞かれた。「この人はどうしてそういうことを知っているのかな」と不思議に思いながら、その監督は先生に昨晩起ったことを全部話したのであった。そうすると、先生はまたその監督にお話するのであった。どういう話かというととても信じられないような話をされた。今度はイエス様のお母様は本当に責任を全うし得なかったというような、今までのクリスチャンにとっては全く信じられないような話をした。そうするとその人は、ヨハネのことまではまだよかったのであるが、今度こそ本当に怒ってしまった。その時先生は「そういうふうには考えてはいけないんだがな」と言われてその時には軽く別れたのだった。
 その晩、おじいさんが又現われて「お前はあの方がどういうお方だかわからないのか」と言いながら、今度は本当に耐え難いような苦痛を体に与えた。
 もうちょっとしたら息が絶えてしまいそうな苦痛に陥いるので、その監督はおじいさんに「あの方のお話を絶対に信じるから、許して下さい」と言わざるを得なかった。
 次の日の昼食の時間、先生はまた同じようにそういうことが起こらなかったかと尋ねられた。そうすると朴氏はそれ以上逆うことができず、深く悔い改めて、今度こそ先生の話を信じ服従することを誓った。
 そこで先生はもうひとつの試験をされた。その日も、もう全く信じ難いような話をされた。するとその人は愚かな人でそこでまた強く反対した。そうすると天からの罰が与えられ、本当に耐え難い苦痛を受けるのである。それが三日続いて、三日目に初めて永遠に先生の前に屈服して刑務所の中で先生を恩師として仕え奉ったのだった。
 以上は獄中においてさえ必要な人を準備し育てられる神の摂理の周到性を見せた例である。
 この刑務所生活の内容は、人間が担当しえない如き重労働であり、宿舎と食事は言い現わし難いほどであり、非衛生的な生活条件をも甘受しなければならず、更正を願う修養の場であるというより生き地獄の標本であり、死に至る予備校と同じようなものであった。
 であるから、古参の在所者たちが新しく入ってくる人たちの顔を見て健康程度を判断し、第一印象で「どの位の期間しかもたない…」と予言すれば、ほとんど正確にそれぐらいの生命で終り、あとは担架で選ばれていくということが常識化されているほどであった。
 食事は毎食雑穀の御飯が少しづつ配られた。おかずは全くなく、汁は薄い塩のおつゆが少しづつ配給される。大きく頬張れば三口で無くなってしまうほどのこの雑穀の飯は、普通の人を基準としてもあまりにも少量であり、まして重労働者に対するものとしては、食べて生きてゆけというよりは重労働に酷使するための最少量の穀物にすぎなかった。
 文鮮明先生にとっても、その巨軀に対してあまりにも量が少なかった。しかし、初めの三週間はかえってそれを二つに分けて半分は隣りの人に与え、残りの半分だけを食べられた。そして、その半分が自分に与えられた全てであると自ら思われた。
 そのようなことを続けられて、決めた期間が過ぎた後一人ぶんを全部召しあがり、「今日から私は二人ぶんを食べる」と思われた。実際にもその時までより倍の量をとられたことになるから、人より元気が出るのを実感することができる。だから食事時間になって、皆それぞれ器に飯を受けて食べているが、普通の人は口に半分位入れると自分が食べていながらも、自分が食べているという事実を忘れているという状態であった。
 自分自身は、御飯を食べていながら、自分の頭と目は他の人が食べているものに気を取られて眺めている。他の人が食べている物を見て、自分の口や頭は自分自身も今食べているということを忘れて、食べているにもかかわらず、関係のない他人の口に入って行く御飯の固まりを欲しているのである。そうしながらも、手は相変らず無意識に動き、口を動かし続けてみな呑みこんでしまう。そして全て食べて空になった器を発見してその時になって初めて驚いたように、「こら、僕のご飯を誰が盗んで行ったのか」とどなる。このような気持ちで神を慕う者だったら、恐らく、歴史的中心人物になれるであろうと先生は語られた。
 このような状況下にあって、毎回一人ぶん余計に召しあがると思われることは大変な力と慰めになるのであった。

(つづく)