1954年5月1日。創立記念日。この日「世界基督教統一神霊協会」の看板が立てられた。そこの住所は「什(口に一に己)特別市坂東北鶴洞391」である。ここで多くの食口が復帰された。その方々が現在教会の幹部になっている。当時、梨花女子大生が多く集まっていた。
1954年7月4日。梨花女子大事件が起った。
 その事の成り行きは、劉孝敏先生の従姉妹の染久永先生(当時 梨花女子大教授)(音楽)裏表もない素直な方が原理を聞かれた。霊的に聞かれて、大先生が主である事を悟り「貴方はお父様でありながら何故私を呼んで下さらなかった」と言って胸にしがみついて泣いた。その時に天から与えられた聖歌がある。染先生が大学に帰ってから多くの生徒が来教するようになる。教会のニックネームが「三日洗脳」と名付けられた。大学当局では、困り果てて別の教授を送って講義を聞かせ批判させようと企んだ。しかし、その送られた教授は、非常に理性的な女性で、最初鬼のような顔をして聞いていたが、その先生にも弱点があった。彼女はスエーデンボルグを研究していたので霊界の話になった時、ついにニッコリしてしまったというのである。その時の先生が現在米国開拓者である(関学の神学科出身)金永雲先生である。大学側では、大学か教会かの二者択一を迫り、この時12人の女子学生が退学させられた。(14名が大学に残る)その方々が現在ほとんどが12弟子の奥様方である。マスコミは学校当局の宗教の自由の否定を批判した。それに応戦する為に、大学の理事をしている副大統領夫人 朴マリヤがマスコミを買収してある事ない事とりたて統一教会を批判した。当時大統領李承晩は、韓国の事情に疎い、副大統領は病弱、その妻マリヤが実権を握っていた。
 迫害の内容をいうと統一協会は偽キリストである淫乱の教会(女子学生が多かったため)として、中傷をうけた。この迫害は全国的(国家的)に拡大され人々から石を投げられ親が気違いのようになって連れ戻しに来た。想像を絶するような迫害であったのである。
1954年7月4日 大先生、劉協会長を含み、5名が逮捕された。10番の「苦難と生命」その時の劉協会長の詩である。判決は無罪であった。
 大先生御一行が出獄される時、迫害した家では息子が狂って兄弟を母を殺して自殺し、自滅して行った。当時は、世界人類は24億であった。この年10月19日延橲大学からも3名の学生が入る。その中に黄元鎮先生が入教されていた。11月には安昌成先生が入教。12月には柳光列先生が入教されている。1955年ソウル大学工学部電気科出身の金栄輝先生(現協会長)が入教されている。1958年1現在、サンフランシスコ教会)西川勝先生が日本に開拓に出発されている。当時、韓国では最も苦しい(?)にあり、人材も乏しくとても必要な時であった。
1954年~1960年までの第二次七年路程は第二のエバが倒れた為失敗された。残された喜進様は第二の位置としてイエス様を象徴されている。
1960年~1967年 第三次七年路程に出発される
1960年3月1日(日)父母の日(天紀元年)決定された。
これは大先生の御聖婚が成立される為には、復帰された子女を立ててから父母が聖婚されるのが原則なので、金元弼先生、劉協会長、金栄輝先生の三人に約婚式をなさられた大先生は、その約婚基台(?)の2女(誤読の可能性あり)に真の父母として立たれたのである。その約婚基台はそれぞれ内容があり、金元弼先生は愛情の心情の証人(ヨハネ的使命)、金栄輝先生は倫理的証人(ヤコブ的使命)意的なのである。
1960年3月10日(旧) 御父母様の御聖婚式
1960年10月1日(旧) 子女の日
 この年の年頭標語は「生涯成功の実績を残す者となろう」 個性完成

1961年  36双の聖婚式があった。
     この基台は霊界の解放を意味する。
標語  「天の代身者となろう」 理想相対完成

1962年  四位基台完成で民族的摂理基台となる72双の聖婚式が行なわれた。
 標語  「見せて誇る事の出来る者となろう」

1963年  世界的勝利基台として120双の聖婚式が行なわれた。
 標語  「勝利的主管者となろう」  四方を主管できる者。

1963年 5月7日(旧) 「万物の日」決定

1965年1月28日(旧) 第一次世界路程に出発された。
 出発帰国途中に日本に立ち寄られた。この時、世界40ヶ国に聖地が決定される。
 日本には9ヶ国定められた。

(つづく)