大先生は5年の刑期をどうしても、この少い食事で過さなければならないので、初めはこの食事を更に半分に減らして三ヶ月間半分で暮す訓練をして、その(?)は半分で淋しい。しかし自分の(?)(?)(?)に食べる分(?)(?)(?)れ(?)(?)であるが、更に追加して食べる事が出来るという考えを持たねば、5年という刑期をとうてい保てなかったのである。だから大先生は三ヶ月間食事は半分だけ食べて、後の半分は他人に分けてやっておられた。都会の人より、農村の人の方が食事の量がとても多いので、そういう人が刑務所に入って食事をすると、とても耐えられない。そういう食事がどの位、腹が減るかというと、その食事は豆が少し混じったニギリ飯であるが、それを与えられる時は、ちょっとした拍子から豆が落ちると、その豆粒、落ちた為に、その日は1日中気分が良くないといわれる程であった。あまりにも腹が減ったまま無理をしていると御飯を食べながら死ぬ人がある。すると一緒に食べていた人は、今死んだ人をあわれんだり同情したりするよりも、その人の口の中の御飯が問題なのである。だからその人が倒れるといち早く誰かが、その人の口の中の御飯を持って行くという本当に耐えがたい状態であった。約2~3000名を収容するその刑務所の総監督をしている人は青年の時キリスト教信者であった。その人が人民軍の警備隊に入り将校として働いていたが、その人は容ぼうからも思想的にも人望の厚い人であった。一方大先生は刑務所に入られてもあまり口を開かれなかった。何故なら共産主義国家では、そういう所には秘密に党員を送っているし大先生は時に人々から注目される立場にあった。ほとんど口を開かれなかったが、刑務所の人々から慕われていた。ある時、大先生は作業場で、昼食時間を利用して(?)(?)(?)(?)に近寄って「洗礼ヨハネが失敗した」事について話された。既成教会では洗礼ヨハネは非常に偉大なる聖者として尊敬されているから「そんな事はない。」と言って憤って叱った。その方の一言は大先生の生命を左右する立場にあった。その監督が、あの人は思想的に不安である反動分子であると刑務所の幹部に話されたらとても生命が危ない立場であった。しかし大先生がどういう内容を話されたかという事は、その人が天からみて、ある意義のある人たという事である。その人が「そんな事あり得ない」と言った時、大先生は「あなたがそんなふうに言ってはいけないですね。」とおっしゃられた。その晩、総監督の所に幻の中におじいさんが、現われて「今日、お前に話して下さったあの青年はどういうお方か、知っているか。そのお方の言う事は全部正しい。絶対にそのお方の話について行かねばならない。」と警告された。翌日の昼食時間に、大先生は再びその人に近づいて行って話をしたのである。その人は昨晩おじいさんから警告を受けているので、本当に申し訳なく黙っている。そういう時に、大先生は「昨晩、何か夢を見ませんでしたか。」とお聞きになられた。「この人はどうしてどういう事を知っているのかな」と不思議に思いながらその監督は昨晩起った事を全部お話ししてくれた。すると大先生は、又「イエス様のお母さん(マリヤ)は本当に責任を全うしなかった。」というようなとても信じられないような内容を話された。するとその人はヨハネの事までは良かったが今度こそ本当に怒ってしまった。その時、大先生は「そういう風に考えてはいけないんだが」といわれ、その晩、そのおじいさんが又現われて「お前はあの方がどういうお方かどういう人かわからないのか。」と言いながら、今度は本当に耐え難い苦痛を体に与えた。その監督のおじいさんに「あのお方の話を絶対に信ずるから許してほしい」と頼んだのである。翌日の昼時間大先生は、又、同じようにそういう事が起こらなかったかときかれた。その人は悔い改めながら、今度こそ信じ服従する事を誓った。そこで大先生は、もう一つの試験をするといって全く信じ難い イエス様の使命未完成の事について語られたのである。その人は愚かながら再び反対した。そると(?)(?)(?)の(?)(?)与えられた。本当に耐え難い苦痛を受けたのである。それが三日間続いて三日目に永遠に大先生の前に屈服して刑務所の中で大先生を先生として仕え奉ったのである。その人は大先生が本当に天から愛される天に(?)われた方である事を知り、今は弟子の(?)であるので大先生が苦痛を受けられる事が自分の苦しみのように感じた訳である。そこで大先生に「そういう苦しい事をしてはいけません。私が話せば非常にたやすい仕事がありますから是非ともそちらを選ぶように・・・。」と勧めた。しかし、大先生はその監督に「この刑務所の中で一番辛い仕事」を喜んで自らお選びになられた。興南には窒素工場があり肥料が山のように積んであった。終戦の当時人手不足で、その肥料が全部固ってしまったので、それを運ぶ為にはダイナマイトか何かで破壊してそれをつぶさなければならない。崩した肥料は40㎏入りのカマスに計りで計って入れ、それを縄でしばってから貨車のところ(52t)まで運んで行って積め込むのである。一日の責任の量は1300カマスを10人1組となって8時間労働でする仕事である。その責任量を全部出来ないと食事の量が減るというので皆命がけでやらねばならなかった。その中で一番辛い仕事は破壊した肥料をカマスに入れて、それを計りの上まで運んで置く仕事である。大先生はそれを選ばれて成し遂げられた。普通健康な人でも三ヶ月その仕事をして働いたら5ヶ月休んでそれでもその報酬で生活できるという重労働であったそうである。どんな健康な人でも7ヶ月その仕事をしたら体を痛めて肺病になる。それでも大先生はその仕事を選ばれた。冬パンツ一つで働いても汗だらけになる重労働であった。それでもその監督の勧めを聞き入れられなかった。大先生が牢屋に何か(?)(?)時、あらかじめ準備をしていた青年(金さん)から元弼先生が直接きかれた話によると、その方と大先生は一緒の部屋にいたが、日曜など全部仕事を休むので人々は眠るが大先生は日曜日でも眠るのをみたことがなかったといわれる。大先生は刑務所の中で働いている多くの人々の誰よりも一番難しい苦難を勝利しなければならないという心構えでおられたので日曜日も休まず、いつもめい想にふけっておられた。又、大先生は平壌に来られてから刑務所に入れられるまでは本当に常に涙されておられた。いつも礼拝には初めから終りまでずっと説教しながらも、本当に涙されない日はなかった。しかし刑務所に入られた瞬間から絶対に涙されなかったそうである。
 愛する子が刑務所にいて苦労するのを見る神の心情を思ってみる時、その苦労する私より苦労をさせねばならなぬ神の心情はもっと痛いことを知ってあられた故、神に対して絶対そういう弱い心を見せたくなかったのである。そして神に対して絶対、私の為に心配なら(?)(?)かえって神を慰められ、神に対して涙を流すとか、祈るとか絶対なさらなかったのである。
 又、大先生はお話は全くなされないが、おじいさんとか祖先の人々が現われて、その人に教えてくれるのである。「あの何監房の596番にお前の食物を送ってやれ。」と示されて何も知らないまま差し入れて行く。だから大先生は全く知らない人々から沢山の食物やいろいろ贈り物を与えられた。そういう方々があったので寂しくなかったそうである。
 そんなわけで、大先生から(?)外にいる食口達に、米、粉、着物を送ってくれるようにとの手紙があった。要求された品を送ってあげるが、いつ見ても新しく造って持って行った着物を着られず入獄される時の着物を出所なさるまでずっと着ておられた。実(?)牢の中での食事というと、米の粉と水でモチをつくりパンは御自分で作られて食られた。又、着物は全て御自分でつくられておられた。食口達から差し入れたそれが、大先生の御手に届いていないのではないかと疑ったが調べてみると、その差し入れた物は刑務所の内で、話を受けて大先生の監房に20名の人々が一緒に収容されていた。その人々は自分の家庭から米の粉とか差し入れがくると人に分けてやらない。その中には泥棒とかいう人もいるので差し入れるものを隅に置いて監房を出ると出ている間に全部盗んでしまうそうである。ある時、仕事から帰って来ると大先生の米の粉が全部なくなっていた。そうすると横の人は「先生の粉がなくなった」という。しかし大先生は黙っておられる。すると、その人達が自分のものが失なわれたように探しまわって見つかった時、その収容されている監房の人全部、御自身の囲りに座らせ、その盗まれた米の粉を持ってきなさいと言われ、持ってくると大先生はシッキという器を盗人に上げて「お前が、どれ程欲しいのか必要なだけ全部持って行きなさいと。」任せておやりになると、囲りの人々は持主である先生が(?)ういうので、口をはさむ事ができず心の中でその人が憎らしくてたまらない。しかし大先生が、御自分のものを御自分で処理なさるのであるから何も言えずに黙っている。そうすると、盗人はちっともそれを持っていかず顔をうつむいて黙っている。すると大先生は、その器でもって、その粉を盛り上げてそれをその人にお授けになられた。又周囲にいる人々にも全部分けておやりになったというエピソードがあった。

(つづく)