大先生はあらかじめその様にして待っている青年が居る事を知っておられた。大先生が入られた監房は丁度、その青年の居る監房だった。その青年は初めて大先生に会って見た時から心が引かれ何とか話してもらいたいという衝動にかられていたが、3日目に大先生に対して「私たちにお話をしてくれませんか」と願った。そこで大先生はこの人達に今まで御旨の為人類の為に御自身が歩まれてきた路程をロレンスという人の名前を例えてお話なされた。その話が終ってから大先生はこの青年に向って「あなたは誰にも言えない自分だけの悩みを持っていないか!」とおっしゃりおじいさんが現われて話をされた話をその青年にお聞きになったのです。それでその青年は驚いて今までの出来事を大先生に全部詳しくお話した。そこで初めて自分が幻の中でおじいさんが教えてくれた王座の青年は今、自分が話している人である事に気がついた。この時から、その青年は大先生について行く事を決心したのである。これは大先生が神のみ意、み旨を成就せんが為心情を尽され行く道において、たとえどんな問題(困難)があっても、おそってきても、神は愛する子供の為に神のみ知っておられるという立場で準備なさるのである。だから神に愛されるようなみ旨をもって行く道においてどんな難しい事、辛い事がおそって来ても心配はないというのである。
大先生は牢屋に入られる時も全く心配なさらなかったというのである。
1948年8月11日再び共産警察の為に投獄された。それは朝から晩まで霊的現象が起こり、祈祷も静かではない。説教讃美歌にも踊る人、歌い出す人が多かった。とても正常ではない。又、大先生は何の説明もなく南から北へ上ってきて看板のない家で集会していた。だから共産警察当局では、李承晩の密書を持ってきたもの、教会という集団を設けて密使として運動しているといって拷問しスパイ容疑をつけられた。同じ牢獄の中で腹中教の幹部と教祖が大先生と会った。その女教祖が獄中で受けた「春香伝」の啓示と全く同じ場合に合われる。
”春香伝”とは
昔、春香という女性に李道令といういいなずけがいた。李道令は街に勉強に出かけて行った。春香の住んでいる所にも悪代官がいて春香を(?)に欲しいといって春香を求めた。その求めに応じなかったので、何とかして手に入れようと「お前の男は死んだから、私の所に来なさい。」と言ってあらゆる手段で誘惑した。しかし、「いったん約束したのだから、たとえ死んだとしても破る事ができましょうか。」といってなおのこと貞操を守るので、悪代官は立腹して捕えてしまった。彼女はやせおとろえたまま牢屋の中で李道令が帰るのを待っていた。そのうちに李道令が代官を取り締る役人となって帰郷し、春香を救い出しめでたく結ばれる物語である。
その春香というのは、その腹中教の教祖で、李道令が大先生に当る。これは獄中でメシヤに会える事を意味したのである。大先生の監房には最も古い幹部がいた。その人が大先生に何か全部打ち明けたい心情になって腹中教の全歴史を話したのである。
その時、腹中教の教祖は「腹の動くとき、啓示がある事を否定せよ。」と言われていた。そしたら釈放してやるとも言われていた。しかし否定しようとしないで、ひどい拷問のうち幾日かで死んだ。大先生は人情的にも厚いお方なので、御自身を迎えるために苦労している事をとても哀れみました。何とかして教祖に知らせる責任があるので、大先生はハシを包む紙切れに「あなたは主が胎中から来る事を否定しなさい。そしてこれを書いた者が誰であるか祈ってみなさい。」と伝書して監守の厳しい中渡された。しかし、腹中教の教祖はその通りにせず、そのメモは共産主義者の手に渡ってしまった。
そして腹中教の人々にも悲惨な道を歩ませる事になり、悲惨な最期をとげていった。大先生もその為、拷問にかけられた。しかし、一言も黙して語られなかった。その拷問はまず一週間寝させられず、鼻に水を入れる。打たれに打たれ、歯はガタガタに砕かれ、又、網に(?)につられて棒でなぐられ内臓はメチャメチャにされた。とうとう血を吐いて倒れてしまった。大先生は零下20度の厳寒の獄外に投げ出されておられた。
1948年11月11日のことである。
大先生の皮膚は破れ、肉は裂かれ、内臓はメチャメチャ、しかし大先生は神に悲しみを訴えられたことはなく、(?)に天の父の悲しみを知っておられた。慰めておられたのである。その大先生が半殺しにあわれて厳寒の地に放り出され冷たくなっておられるのを見つめる天の心はいかばかりか?頂度良い具合にある弟子が大先生を家に連れて帰り介抱した。しかし死人同様で唯一人生きかえられるとは思わなかった。
一週間血を吐き意識を取り戻さなかった。当時まだイエス様が成した摂理までは達成されておらず大先生に従う弟子は唯一人しかいなかった。もしこの時倒れたら日本もアメリカも今は共産化し宗教なき世界となっているはずであった。そして今日の統一教会もなかったはずであった。大先生は復活され再びみ言を語りはじめられた。その大先生を又もや共産主義者は捕えて苦しめた。このようなことを通じて神は全てを啓示されず、1~95までは啓示されたとしても、人間自らで解決しなければならない問題はどんな人物にも教えられないという事、又、如何なる人を通して天は語りかけるかという事を知らなければならない。牢獄に入る前腹中教が働いていたら、大先生の御苦労はなかったと言われる。日常私達にあっても天から啓示される事は語られない。私たちが大先生を見る場合、別に変わっている生活をされているわけではない。大先生が、どの位大きい人か一目見ても知り得ない。大先生を証されるその人を通じてその大きさを知る以外にない。大先生がどの様なお方かは生活を通して知るのである。
興南の硫安工場生活
今年の刑期は5年であった。罪状は多くの人をたぶらかしたという名のもと、社会秩序妨害罪の理由であった。集会を開かれている時、食口達は真理を初めて知り自分達の探していたものであるので自分の家の事を忘れていつも教会に集まる。だからその家ではそれまで忠実に働いていた夫婦子供達が家の事に関心を持たなくなってしまうので、夫婦は争うし、家庭は破壊される。又、既成教会の長老とか牧師の中心幹部達が全部集って自分の教会を破壊するというわけで反対された。又、教会の近所では、いつも夜遅くまで聖歌を歌ったり、祈ったり、踊ったり、笑ったりでとても騒がしい。だから、ここでは困るというので投書されたり、社会、家庭、教会(?)部の秩序が乱されるというので、そういう罪状をつけられたのである。大先生は最後まで抗議され、「私はだましたのではなく、真理に皆がついてきたのだ。」と言って罪名を取り消すように要求された。5年の刑期を受けられた。刑務所は北韓の興南にある硫安工場であった。その仕事は重労働で食事の量が少なくて、どんな健康な人でも黄色に皮膚が変色し、皮がむけてしまい、一年経ったらほとんど死んでしまうような状況であることは大先生は知るようになられた。三ヶ月(?)はだめだというふうに心に感じられる。そして三ヶ月たつとその人は死んでしまう。普通入獄後一ヶ月で常に人は90%は死んでいく。共産主義国家というのは、その思想犯は、そのまま殺すことはできないので、重労働させて、他の人からは殺したという条件にかからないようにしていた。6時に出発し、工場に行くまで約4㎞は離れた所を4人か8人か縦隊に手をつないで、顔は下をむいて、興南の状況を知らせないように歩いて行かせる。囚人は南門から入るが北門から出る時は死人となって出て行くと言われる。大先生の苦しみは何かというと、それは肉体の痛みが問題ではなく、イエス様がゲツセマネで、私が倒れたら人類はどうして救えるか!!もう一度やりたいと願われたが、その時の祈りである。それと同じ様に、神の悲惨さを知るが故に、自分が倒れたら誰が人類を救うか、もう一度やらせて欲しい。神の断腸の心情を思った時、大先生の死は人類を滅亡させることを意味するもので、死ぬ事が出来ない。生命が欲しいと御自身の使命の故に必死に祈られたとおっしゃった。
(つづく)
大先生は牢屋に入られる時も全く心配なさらなかったというのである。
1948年8月11日再び共産警察の為に投獄された。それは朝から晩まで霊的現象が起こり、祈祷も静かではない。説教讃美歌にも踊る人、歌い出す人が多かった。とても正常ではない。又、大先生は何の説明もなく南から北へ上ってきて看板のない家で集会していた。だから共産警察当局では、李承晩の密書を持ってきたもの、教会という集団を設けて密使として運動しているといって拷問しスパイ容疑をつけられた。同じ牢獄の中で腹中教の幹部と教祖が大先生と会った。その女教祖が獄中で受けた「春香伝」の啓示と全く同じ場合に合われる。
”春香伝”とは
昔、春香という女性に李道令といういいなずけがいた。李道令は街に勉強に出かけて行った。春香の住んでいる所にも悪代官がいて春香を(?)に欲しいといって春香を求めた。その求めに応じなかったので、何とかして手に入れようと「お前の男は死んだから、私の所に来なさい。」と言ってあらゆる手段で誘惑した。しかし、「いったん約束したのだから、たとえ死んだとしても破る事ができましょうか。」といってなおのこと貞操を守るので、悪代官は立腹して捕えてしまった。彼女はやせおとろえたまま牢屋の中で李道令が帰るのを待っていた。そのうちに李道令が代官を取り締る役人となって帰郷し、春香を救い出しめでたく結ばれる物語である。
その春香というのは、その腹中教の教祖で、李道令が大先生に当る。これは獄中でメシヤに会える事を意味したのである。大先生の監房には最も古い幹部がいた。その人が大先生に何か全部打ち明けたい心情になって腹中教の全歴史を話したのである。
その時、腹中教の教祖は「腹の動くとき、啓示がある事を否定せよ。」と言われていた。そしたら釈放してやるとも言われていた。しかし否定しようとしないで、ひどい拷問のうち幾日かで死んだ。大先生は人情的にも厚いお方なので、御自身を迎えるために苦労している事をとても哀れみました。何とかして教祖に知らせる責任があるので、大先生はハシを包む紙切れに「あなたは主が胎中から来る事を否定しなさい。そしてこれを書いた者が誰であるか祈ってみなさい。」と伝書して監守の厳しい中渡された。しかし、腹中教の教祖はその通りにせず、そのメモは共産主義者の手に渡ってしまった。
そして腹中教の人々にも悲惨な道を歩ませる事になり、悲惨な最期をとげていった。大先生もその為、拷問にかけられた。しかし、一言も黙して語られなかった。その拷問はまず一週間寝させられず、鼻に水を入れる。打たれに打たれ、歯はガタガタに砕かれ、又、網に(?)につられて棒でなぐられ内臓はメチャメチャにされた。とうとう血を吐いて倒れてしまった。大先生は零下20度の厳寒の獄外に投げ出されておられた。
1948年11月11日のことである。
大先生の皮膚は破れ、肉は裂かれ、内臓はメチャメチャ、しかし大先生は神に悲しみを訴えられたことはなく、(?)に天の父の悲しみを知っておられた。慰めておられたのである。その大先生が半殺しにあわれて厳寒の地に放り出され冷たくなっておられるのを見つめる天の心はいかばかりか?頂度良い具合にある弟子が大先生を家に連れて帰り介抱した。しかし死人同様で唯一人生きかえられるとは思わなかった。
一週間血を吐き意識を取り戻さなかった。当時まだイエス様が成した摂理までは達成されておらず大先生に従う弟子は唯一人しかいなかった。もしこの時倒れたら日本もアメリカも今は共産化し宗教なき世界となっているはずであった。そして今日の統一教会もなかったはずであった。大先生は復活され再びみ言を語りはじめられた。その大先生を又もや共産主義者は捕えて苦しめた。このようなことを通じて神は全てを啓示されず、1~95までは啓示されたとしても、人間自らで解決しなければならない問題はどんな人物にも教えられないという事、又、如何なる人を通して天は語りかけるかという事を知らなければならない。牢獄に入る前腹中教が働いていたら、大先生の御苦労はなかったと言われる。日常私達にあっても天から啓示される事は語られない。私たちが大先生を見る場合、別に変わっている生活をされているわけではない。大先生が、どの位大きい人か一目見ても知り得ない。大先生を証されるその人を通じてその大きさを知る以外にない。大先生がどの様なお方かは生活を通して知るのである。
興南の硫安工場生活
今年の刑期は5年であった。罪状は多くの人をたぶらかしたという名のもと、社会秩序妨害罪の理由であった。集会を開かれている時、食口達は真理を初めて知り自分達の探していたものであるので自分の家の事を忘れていつも教会に集まる。だからその家ではそれまで忠実に働いていた夫婦子供達が家の事に関心を持たなくなってしまうので、夫婦は争うし、家庭は破壊される。又、既成教会の長老とか牧師の中心幹部達が全部集って自分の教会を破壊するというわけで反対された。又、教会の近所では、いつも夜遅くまで聖歌を歌ったり、祈ったり、踊ったり、笑ったりでとても騒がしい。だから、ここでは困るというので投書されたり、社会、家庭、教会(?)部の秩序が乱されるというので、そういう罪状をつけられたのである。大先生は最後まで抗議され、「私はだましたのではなく、真理に皆がついてきたのだ。」と言って罪名を取り消すように要求された。5年の刑期を受けられた。刑務所は北韓の興南にある硫安工場であった。その仕事は重労働で食事の量が少なくて、どんな健康な人でも黄色に皮膚が変色し、皮がむけてしまい、一年経ったらほとんど死んでしまうような状況であることは大先生は知るようになられた。三ヶ月(?)はだめだというふうに心に感じられる。そして三ヶ月たつとその人は死んでしまう。普通入獄後一ヶ月で常に人は90%は死んでいく。共産主義国家というのは、その思想犯は、そのまま殺すことはできないので、重労働させて、他の人からは殺したという条件にかからないようにしていた。6時に出発し、工場に行くまで約4㎞は離れた所を4人か8人か縦隊に手をつないで、顔は下をむいて、興南の状況を知らせないように歩いて行かせる。囚人は南門から入るが北門から出る時は死人となって出て行くと言われる。大先生の苦しみは何かというと、それは肉体の痛みが問題ではなく、イエス様がゲツセマネで、私が倒れたら人類はどうして救えるか!!もう一度やりたいと願われたが、その時の祈りである。それと同じ様に、神の悲惨さを知るが故に、自分が倒れたら誰が人類を救うか、もう一度やらせて欲しい。神の断腸の心情を思った時、大先生の死は人類を滅亡させることを意味するもので、死ぬ事が出来ない。生命が欲しいと御自身の使命の故に必死に祈られたとおっしゃった。
(つづく)