1914年、当時世界大戦が勃発して1918年には、再臨基台としての世界的蕩減がなされアベル側の勝利に治まった。大先生の御聖誕の時も、イエス様の如く、300年前から啓示があり、10年前には霊界で霊能者に大先生のお顔を示されていた。又、大先生がお母様の胎中におられる時、親戚の何人かが夢の中で天から黄龍が光に乗って胎中に宿るのを示されたのである。アダムの御聖誕が旧の1月1日、イエス様の御聖誕は旧の1月3日、そして大先生は1920年1月6日(旧)に御聖誕された。場所は韓半島の北側に属する定円という村で農家の次男として御成長されていた。大先生の御家族は何代も富裕な家庭であった。当時、日本の植民地下にあって、反日地下独立運動をなさっていた。特徴というと家風が特に人情厚く、良い家柄で三里以内に旅人が来たら、文家を訪ねた程で、誰でも良くもてなすので有名であった。
 大先生の家系から御家庭を紹介すると次のようになる。

お父様の御家庭

                  |5人
                  |3人―姉 
                 (|      )非惨な道を歩まれた。
                  |2人―妹
                  |
文善玉―――文教国―――文慶裕―――|―文 龍寿(兄)
          (お母様年上) |
                  |―文 龍明(弟) |―文 聖進(男) 1946.3.1
              1920.1.6| (文鮮明)   |
                       |      | 文 喜進(男) 1955.8.1
         ――           |――――|     (他界)1969.8.1
           |           |      | 文 誉進(女) 1961.1.27
           |→ 1943.1.6 韓 鶴子    | 文 孝進(男) 1962.12.29
  洪ハルモニ――                   | 文 仁進(女) 1965.8.14
                               | 文 興進(男) 1966.12.4
     子女様は、それぞれ異なった御使命を  | 文 恩進(女) 1967.11.23
          お持ちになっておられる。     | 文 顕進(男) 1969.5.25
                               |―文 国進(男) 1970.7.17

 ここで崔元福先生について少々触れる。復帰されたエバの立場にあり、真の御父母様の前には洗礼ヨハネ的エバの使命をお持ちになっておられるお母様と一体となられる事により、サタンがお母様に侵入できない。本来大先生のお母様がマリヤと同じ様に、その使命を果たすべき立場におられたが、摂理上それは崔先生が担当されているのである。現在、大先生の御家族や御親類の方はほとんど北韓で抑圧下され、蕩減の道を歩んでおられる。
 幼少の頃、大先生は善人か悪人かを見分ける鋭い感覚を持っておられ正義感は特別強いものであった。相手が大人であっても相手が自分の非を認めてわびるまでは、徹して闘われた。とても腕白坊主で負けず嫌いであった。相撲でも負けたら山へ行って木を相手にして倒れるまで頑張られた。1(原文はマル1)悪い人 2(原文はマル2)自分よりでっかい奴である。けんかした時負けたら翌日は弁当持ちで、隣村へ行かれるなど、学校など問題ではなかった。村中の噂で「この子は最高の悪党か、最高の善人になるかどちらかだ。」とされていた。従兄弟の文成均氏(工場長)のお話によると川でうなぎを取る時、にげるうなぎを追いかけるのに目をあけられたままで泥の中に飛び込んで穴の中に口をつけて入るやいなや、頭をつかむという目的に徹する性格でつかまえたら、よく近所にくばっておられた。そして幼少の頃から書道で漢文を習われ大きくなって、国民学校に入られて19才にて卒業され、中学校に進まれた。国民学校3年からすぐ5年に進級される程学校の成績は抜群で山の鳥の巣がどこにあるか全て知っておられる程で、運動においてもすべてが優秀であった。国民学校卒業式の答辞が校長はじめ教師の批判をなさり、欠点を正し更に今後の世界状勢の動向をのべられた。今日、その如くに世界状勢はなっている。又、大先生の生活が一般の子と違(?)10才前から3つ位の博士号をとられるように教育されてきた。しかし大先生御自身はそれが何の価値があるのだろうかと思いはじめられ最も価値ある生き方は何かというと、この世は偽り、盗人、病人、殺人罪と不幸と悲劇にみなぎっている。これらの問題を何とかして排除しなければならない。その為には救主となる事が一番世に貢献することであると悟られた。この頃から何にでも親心を配られるのが特徴で魚つりウナギとりなど熱心にされた。大先生には誰も勝てないと言われる程、ウナギでもネズミでも寝ずに追いかけられた。人を引きつける力が強く、15才頃には母親も完全に言う通りにさせた。ある日、ある時から突如として変わって行った。誰にも話さない。大先生はイエス様の本当の復活の日を知らなかった。しかし1936年4月17日(16才)の朝、深い祈りを捧げておられる時、特別の啓示を受けられた。それは大先生の前にイエス様が現われ、「私の使命は未完成で終った。どうか、それを完遂して欲しい。」と使命を委ねて行かれた。(丁度、イエス様が12才の時に神から啓示を受けたように、イエス様を通じてメシヤであることを知らされたのである。)この時、大先生は何回も遠慮されたが、思慮深く天の秘密を胸に秘めながら国民学校に通われた。学びながらも、何時も勉強も何もかもその目的に為に過ごされた。失われたみ言を復帰する事であると悟られ、真理の探求を始められて行かれた。それは普通の道ではなかった。前にも述べられたが、当時李龍道牧師の弟子達を中心とするイエス教会は、既成教会に属さない新しい派であった。この教会では恵みの深い祈りと貧民窟に全部持って言って施していた。ある時、礼拝で代表祈祷されている時、その祈りの深さに全員は驚き、ある婦人はおもわず泣いて抱きしめ、自分の家に下宿することを勧めた。そこには二人の娘がいた。この二人の女性は天的に重大なる使命を果たすべき使命があった。(イエス様が多くの女性との問題を解決しなければならなかった。)アダム家庭の蕩減として、イエス様の目的は、(?)子を求める子女にする為であり、子女は父母なしに生まれない。イエス様の理想相対が来なければ、父母として立つことができないのである。大先生は理想相対としてでなく、エバ復帰の為、婦人に訴えられた過去の男は女によって失敗した。しかし先生は女によって勝利してみせる。先生は婦人を何とか伝道しようとした。それは大先生御自身のためではなく、摂理上どうしても必要であった。しかし婦人は可愛さのあまり、自分の子供のように扱った。
人間的にしか愛さなかった。その事が摂理的にとってもマイナスであった。大先生はその婦人に「私とイエス様とどちらが偉いか祈ってみなさい。」しかし婦人は啓示を受けたが悟れなかった。大先生が日本から帰韓して来られてからも悟れず、今後悔いて「私のようになるのはいけませんよ。」と今日、教会で証詞してくれている。その家庭は、大先生が初めて愛された家庭であった。イエス様が涙の乾く間がなかったと言われるように、それ以上に大先生は、神の心情を思って泣き慟哭して涙のあまりお顔が変形され、太陽を見ることができず、外で他の人に会われても人から見て、それが誰かわからない程であった。又、二階で祈りつつ流す涙が下に落ちることさえあった。申美植先生が、「私は人生の問題で悩みました。」とうちあけた時、大先生は「私も人生の問題で悩んで泣いた。誰しも、これを私が解決しなければ、民族は、人類は、救われないと思って悩んだ。」と語られたといわれている。

(つづく)