自由を失った人類は愛を失い、自由を失った人類生命の財産を得た。愛情の財を信じ、サタンを葬れ、栄光、栄光、栄光、わが主に栄光を帰(?)(?)。

 結局、サタンが侵入したこの秘密を知らなかったから人間をして、神にサタンを(?)(?)できなかった。この秘密を知った婦人は「血統的堕落の解決をしてやった」と言って、毎日神に感謝の歌を唄った。その婦人には長男がいて統一商会という雑貨屋をしていた(?)(?)(?)長男を嫁が相対基準を遣って真の父母が来られてその摂理を二人をたてて長子復帰させ、メシヤの家族に造られる家庭を象徴的に家庭内で摂理した。そうしながらその歌を毎日のように唄った。しかし、この長男夫妻は教えの通り行かず、人間的批判をした。結局はその嫁の失敗により、(?)(?)証しヨハネ的使命は果たせなくなり、その嫁は気狂いになって他界した。それで30年目にして、その摂理が停止になってしまった。

 その使命は今度は許孝彬さんという婦人に移っていった。韓国にはメシヤが生まれるという事で、この婦人を通じてイエス様の生前から一生涯を証す事になっていた。今までキリスト教は全世界に広がった。けれどもイエス様の心情を全々知らないでいる。何故、イエス様が馬小屋で生まれたか。ヨセフの家庭が責任を果たさなかった。ヨセフの不信仰で結局イエス様の生まれる場がなかった。ユダヤ人は400年間、メシヤを待望した国なのに、生まれたイエス様は外であった。一枚の着物もない宿る場もないその馬小屋で生まれ、あんまり寒くてたまらなかったというのである。イエス様が自分の生まれる当時の恨み悲しみを、この婦人を通じて説き始めた。金婦人は堕落論を中心として人間とサタンとの関係の秘密を語ったが、3番目の許婦人は、イエス様の恨み悲しみを解いて、本来、ユダヤの祭司長、ユダヤの幹部達がひれ伏して拝まなければならないのに異郷の予言者が来てひれ伏した。この恥、恨み、悲しみを初めて説き始めた。この婦人はイエス様が家庭的悲しみの中で、外で生まれ、何の基準もなく死ぬところだったが、神の息子であったので、生命が守られたといいながら、この婦人に自分の悲しみ、自分の一生涯の事を全部証しながら、これから婦人がやるべき使命は先ず、イエス様の恨みをほどかなければならないという完全なる願いを託し、これから韓国に生まれてくるメシヤに対しても、こういうふうになるようになった。

 それはいつも予言者を異端扱いして追い出した当時、日本の植民地にあったから警察官は啓示を受けたとか、霊通した信仰団体、人などがあると捕えて拷問にかけた。二番目の許婦人も長い間すごい迫害を受けていた。この許婦人の団体はいつも悲しさで泣きながら祈るので世間では嫌がって、憎む警察官は総(?)の(?)し政府まで迫害してきた。

 当時は大東亜戦争、満州事変や支那事変の頃で、日本の警察から相当の迫害を受けながらメシヤの来る事を予言していた。そしてイエス様の路程を知らないと(心情的体恤をしていないと)これから来るメシヤを迎える事が出来ないと言って子供の頃から、一生涯のイエス様の内的心情を婦人を通して証してくれた。イエス様が着たことのないダンディ服を作ってくれと頼まれて作ったり、食べた事のない食べ物を用意してくれと言われれば、沢山用意してあげていた。霊人にもその地上に未練の残った食物や服を全部やって捧げて「これから来るメシヤの為に準備せよ。」と言うので戦争終るまでの三年間に、イエス様の恨みをほどいていった。しかし大東亜戦争の末期頃、結局、日本警察によって留置所へ連行され準備された服など全部奪われてしまった。その頃全キリスト教が迫害下にあった。何故ならお前達が信じるキリスト教の神様と、天皇陛下とどちらが偉いか」といって牧師達に徹底的に尋問し「日本の主権下にいるのだから天皇陛下を拝め」と言って「ハイ」と答える者のみ許し答えない者は拷問した。この婦人は無職人で祈るしかないものだから勇敢に答えた。そしたら結局、死刑を宣告され、1945・8・18に「寺社参拝」の拒否者は全部死刑される日となっていた。ところが8・15終戦だったので、死を覚悟していた牧師達は解放された。再び帰ってメシヤの為に祈り服を作りはじめた。最高の服を用意する為に信者達の全財産をしぼって土地を売り、宝を売って三年間そうして作っていたメシヤの服がトラック一台分あったが奪われてしまった。鶴子お母様のお母様が20才の時からこの教団に入っておられ、現在は60才になっておられるが、当時はメシヤの為に服を縫っておられ、鶴子お母様は6才の時からお母様に背負われて、この教団に通われておられた。お母様は子供の頃からクリスチャンで鶴子お母様お一人を一生涯かけて誠意を尽して、お育てになった。お身体は地にあるが、ほとんど今も霊界に通じていらっしゃって御父母様の御家族を中心として大きな役目をもたらされ、祈祷生活をされている。相当迫害中ろくな食物もたらず、日本の迫害、共産主義の迫害、統一教会での迫害まで大きな御苦労をされて来られた。この教団は天に導かれ縫い方まで示され、3、4、7、12回づつやって途中でお客様が来た時はもう一度祈って聖別してからやらなければならない。そうしないと絶対、その服は天におさめられなかった。寸法は天から示される子供の時の寸法、10代、20代、30代、40代までなされた。又、お母様は教会にこられて大先生に服を捧げたり、又、40代の時、南から38度線を越えて服を持って行かれたその時、全然寸法を知らずに縫った服の寸法がぴったり大先生の御身体にあったという事である。この様にしてこの教団は2000年前にはメシヤを十字架にかけたが、今度はメシヤに絶対苦労かけてはいけないといって「聖誕時分から33才までの着物、その他西洋式東洋式を全部備えよ」啓示を受けて備えをなしていた教団で、啓示を受ける度にお腹が妊娠7、8ヶ月位のように動く。その後啓示があるというので、「腹中教」と名付けられた。


(つづく)