神奈川県南足柄市のプロパンガス平均料金・価格 ~プロパンガス協会~ | プロパンガス協会公式ブログ│ガス料金値下げ相談センター

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神奈川県南足柄市のプロパンガス料金について




基本料金1500円で10立方ほど使うご家庭の場合、

協会の適正価格と南足柄市の平均値を比較


当協会:1500円

平均額:1500円

【従量単価】

当協会=300円~360円

平均額=477円

※当協会は平均値330円で算出。



【月間金額】

当協会=4800円

平均額=6270円



【年間金額】

当協会=57600円

平均額=75240円



【トータル】

月間差額=1470円

年間差額=17640円







年間での差は17640円も当協会の方がお得


になります。

勿論勝手な値上げをするガス会社をご紹介致しませんのでご安心下さい♪



現在の平均金額を見ても、当協会が推進している適正価格よりも高くなっています。



南足柄市にお住まいの方の中には単価790円/立方メートルの方もいらっしゃいました。



適正価格でない場合はすぐに当協会までご相談下さい。


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フリーダイヤルでのご案内もございます。



お気軽にお問合せください♪




南足柄市をご紹介致します♪



南足柄市ってどんなところ?




【地理】


南足柄市(みなみあしがらし)は、神奈川県西部にある市である。神奈川県内では最も人口の少ない市である。

東西約12km、南北約9km、面積76.93平方kmの広がりをもち、北は山北町、東は開成町、南東から南にかけて小田原市及び箱根町に、西は静岡県小山町に接しており、都心から約80km、横浜から約50kmの距離にあります。

箱根山の外輪山の北東側にあり、酒匂川の支流のひとつ狩川を中心に市街地が広がっている。北部は丹沢山地がそびえ、相模湾のある南から温暖な海風が吹き込むため、年間を通して温暖な地域である。

水に恵まれていて、国土交通省の制定した水の郷百選にも選ばれており、富士フイルムやアサヒビールなど大手企業の事業所・工場が立地しているため、財政は豊かである。

また市域のほとんどはスギを中心とした森林が広がる山間部であり、空気にも恵まれている。

市域は76.93平方kmを有し、最高峰の金時山(1213m)を中心として、東方の明神ケ岳にのびる箱根外輪山と北方の足柄峠、矢倉岳にのびる足柄山塊を両翼として、約90度の扇形に開けた中に、丘陵地、台地、さらに山間のせせらぎを集めて西から東へと市内を流れる狩川、内川の河谷平野と酒匂川の沖積層からなる西高東低の地形で、平坦地は足柄平野の一部を占めています。




【沿革】


1878年(明治11年)7月22日-郡区町村編制法により行政区画としての足柄上郡が編成され、郡役所を関本村に設置。

1880年(明治13年)-郡役所が松田惣領(現松田町)に移転。

1889年(明治22年)4月1日-町村制の施行により、苅野村、弘西寺村、雨坪村、福泉村、関本村、猿山村、飯沢村、狩野村、中沼村および炭焼所村飛地が合併して南足柄村が発足。

1921年(大正10年)-松田-関本間に足柄自動車(現在の箱根登山バス)が運行される。

1925年(大正14年)10月15日-大雄山鉄道(現在の伊豆箱根鉄道大雄山線)が開通。

1940年(昭和15年)4月1日-町制施行して南足柄町となる。

1955年(昭和30年)4月1日-福沢村、岡本村および北足柄村の一部(大字内山、矢倉沢)と合併し、改めて南足柄町が発足。

1972年(昭和47年)4月1日-市制施行して南足柄市となる。

1978年(昭和53年)5月-金太郎音頭が制定される。

1982年(昭和57年)10月-足柄峠に足柄万葉公園が開園。

1986年(昭和61年)4月-市役所新庁舎落成。

1988年(昭和63年)7月10日-市立図書館が開館。

1992年(平成4年)7月-文化会館が開館。

1996年(平成8年)7月-大雄山駅前の再開発事業が完成する。




【歴史】


・先史、古墳、奈良・平安、中世、近世




市内には、現在九十八ヶ所の過去の人々が生活した痕跡である遺跡が確認されています。また、県・市指定文化財が四十八件あり、過去からのメッセージを現在に伝えています。

南足柄に人がいた最も古い時代は、二万~三万年前の後期旧石器時代で、黒曜石で作られた槍の破片などが出土しています。約一万年間続いた縄文時代になると、遺跡の数は多くなり、狩野の馬場(ばっぱ)遺跡や関本の関本出口(塚田)遺跡の調査などで、様々な文様が入った縄文土器や竪穴式住居の跡など多くの資料が確認されています。縄文時代の後、三世紀の終わり頃まで続いた弥生時代の南足柄は、怒田上原遺跡などで、条痕文土器といった弥生時代の古い時期に相当し、神奈川県内でも類例の少ない資料が多く出土しています。市内で出土している縄文土器や弥生土器は、西の静岡県や山梨県で出土している土器との共通性が見られます。この時期には既に西と東の交流が活発に行われていた証拠と言えるでしょう。


古墳時代になると、近畿地方に成立した大和王権によって、前方後円墳などの様々な形をした高塚式の墳墓である古墳が造営されました。その影響を受けて周辺地域も古墳を造営するようになったと考えられています。南足柄では六世紀以降に古墳が造られ始めたと考えられており、それらは円墳と呼ばれる古墳時代の後期に多いものでした。円墳には岩原の黄金塚古墳群や関本の塚田二号墳などがあります。塚田二号墳の副葬品として鐶頭(かんとう)太刀などが出土しており、大和王権とのつながりが推測されます。八世紀の初めに編纂された『古事記』の一説には倭建命(やまとたけるのみこと)が足柄峠で足柄明神の化身である白鹿を蒜(ひる)で打ち殺したことで東国が平定されたと記されています。


奈良・平安時代に入ると、関本から足柄峠へ抜ける道は、足柄道、足柄路と呼ばれて官道として機能しました。九世紀の初めに起きた富士山の噴火で一時通行が途絶えてしまうものの、一年で復旧し、その後も活用されました。『万葉集』や『更級日記』などには足柄峠や古道についての記述を見ることができます。南足柄には平安時代に作られたとされる仏像が多く、怒田の朝日観音堂の聖観音立像や兜跋毘沙門天立像、中沼薬師堂の薬師如来坐像などがあります。


中世は武士の時代であり、鎌倉幕府ができてから、豊臣秀吉が小田原を攻めて後北条氏を降伏させるまでとなります。中世の終わりごろの南足柄には多くの城が作られました。後北条氏の前に南足柄一帯を支配した大森氏の居城であったとされる岩原城や、後北条氏の第一の家来であった松田氏が城主であった浜居場城、西方警備の要であった足柄城などがあります。当時の領主たちは東西の交通を制限するために苦心をし、足柄峠を中心として南北の尾根上に砦を、街道筋に城を配置していました。また武士の多くが禅宗を信仰したことから、大雄山最乗寺や塚原の長泉院などが中世に開山、開基しています。


近世に入ってしばらく後に徳川家康が江戸幕府を開くと、足柄平野を穀倉地帯とするために酒匂川の大口、岩流瀬(がらぜ)にそれぞれ土手を築いて稲作をしやすい環境にしたと考えられています。箱根に東海道五十三次の関所が整備されたことで、これまで交通の要衝として機能していた足柄道は、東海道の裏往還である矢倉沢往還(おうかん)として整備されました。矢倉沢には矢倉沢関所が設けられて、通行人の取り締まりを行いました。相模人形芝居は、江戸時代に班目に逗留した旅人から教わったことが始まりと言われており、主要な街道が箱根方面へ変わった以降も、多くの人々が南足柄の地を往来したと考えられます。

江戸時代の中頃に富士山が噴火し、大口や岩流瀬の土手が決壊して流域の村々を押し流してしまいました。これを重く見た八代将軍徳川吉宗は、南町奉行大岡越前守に命じて川崎宿の名主であった田中丘隅(休愚)に土手の復旧を行わせました。この事業に一定の成果を為した丘隅は大口、岩流瀬土手を文命堤と名付け地元民衆による日頃の護岸、治水が重要であることを説きました。




・明治、大正、昭和


明治二十二年に町村制が施行されて、南足柄、岡本、福沢、北足柄の四ケ村が誕生しました。学校も明治六年に化源館(現在の南足柄小学校、北足柄小学校)が、明治八年に日向館(現在の岡本小学校)が、明治三十四年には福沢小学校がそれぞれ開校しました。

明治二十二年に現在の御殿場線が東海道本線として開通したことで、これまでに比べて大規模で迅速な輸送が可能になりました。明治三十三年には、国府津、湯本間に鉄道が開通し、大正十年には足柄自動車(現在の箱根登山バス)が松田、関本間で運行されるようになりました。さらに、大正十四年には大雄山線が開通し、一層にぎわいを見せるようになりました。昭和二年には、小田急線新宿、小田原間が開通し、首都圏との交通が便利になりました。


明治から昭和にかけて急速に近代化が進み、交通手段が多くなったことで、これまでの徒歩による移動で使われてきた足柄道の重要性は大きく薄れることになりましたが、東西を、時に分け、時につないできた南足柄の歴史はこれらの道によって紡がれたと言っても過言ではないでしょう。


※一部wikipedia
抜粋。※一部南足柄市HP
抜粋。




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