私が新卒で証券会社へ入社したのは平成元年(1989年)4月。
時はバブル絶頂期、「24時間戦えますか?」と栄養ドリンク剤のC Mが流れ、それが流行語になった年です。
年末の日経平均株価は38,915円87銭という最高値を付け、入社1年目の私にも、働き盛りの父も驚くような額のボーナスが支給されました。
驚く私に先輩達は、「まだ1年目だからね。次のボーナスは帯封が付くよ(100万円以上ってこと)」なんて言っていたものです。
経済は右肩上がりでどんどん上昇して行く、誰もがそれを疑わない、忙しくも高揚感のある時代でした。
就職活動はその前年、昭和最後の夏でした。
夏休みの短大の廊下には、びっしりと求人票が貼り出され、その大多数は大手企業や地元の有名企業で埋め尽くされていました。
リクルートスーツを母に買ってもらい、履歴書を書く位の準備しかしていなかった私も、片手の数に満たない企業訪問で内定を貰う事が出来た時代です。
深く考える事もなく、特に苦労する事もなく、ただただ「そういうものなのだな」と、学校を卒業し社会人になりました。
未来の青写真があったとしたなら、
「何年か働いて結婚資金を貯めて、25歳までには結婚して仕事は辞めるのだろう」
と、その程度のもの。
女性の婚期はクリスマスケーキと同じ(25を過ぎたら売れ残り)、結婚相手を見付け結婚資金を貯めるには短大卒が最適(大手企業男性社員のお嫁さん候補である一般職の求人多数)、そんな時代の地方都市で、私のキャリアは始まったのです。
順風満帆|Pro-OL(プロ-オーエル)戦略室
天沢順子

