DVC00440.jpg



こんばんは(^-^*)/









今日書くのは昨日の「プチ旅」の続きになりますが 『手稲山口バッタ塚』を紹介したいと思います! 写真はバッタ塚の駐車場に立っていた ポプラの木ですクリスマスツリー









DVC00449.jpg

DVC00447.jpg

DVC00458.jpg

DVC00444.jpg

DVC00450.jpg


【手稲山口バッタ塚】



所在地…札幌市手稲区手稲山口324-308



由緒…北海道開拓使時代に十勝地方で大量の蝗虫(バッタ)が発生し札幌まで飛来 その後毎年のように札幌ではバッタが大発生し農作物は壊滅的な被害を受けていた 人々はバッタを減らすため 幼虫を追い込んで穴に埋めたり鋤でつぶしたり野原に火をつけたりした 雨が降れば卵が死ぬということで雨乞いのために大砲まで撃ったと言われている
その後明治政府は札幌中から卵を買い集め 砂地だったこの地に埋めてバッタを減らそうとした

これが手稲山口のバッタ塚の始まりである

バッタ塚は札幌の他の地域にもあったが 現在まで残っているのは ここだけである



明治13~18年…バッタの大量発生

明治16年…明治政府により手稲山口バッタ塚造られる

昭和53年…札幌市の文化財(市の指定史跡第1号)に指定される









写真で地面が畝のようになっているのがわかるでしょうか?



そこにバッタの死骸や卵が埋められたそうです









DVC00456.jpg

DVC00457.jpg



秋の日差しの中 バッタ塚はとても美しく見えましたが 開拓当時の入植者達は 今では想像もつかない自然の脅威と戦っていたんですね



塚には平日だったせいか 訪れる人もなく 一人この場所に立っていると 現実と過去の歴史が交錯したような 不思議な感覚に引き込まれていくようでした!









DVC00455.jpg

DVC00459.jpg

DVC00445.jpg



言葉ではうまく表現できなかったけど オイラの体験した感覚…わかるような気がしませんか?









DVC00434.jpg

DVC00435.jpg

DVC00437.jpg

DVC00438.jpg

DVC00439.jpg

DVC00461.jpg



前後してしまいましたが 「山口墓地」から「バッタ塚」までの道程です









今も 自然災害やエボラ出血熱など…人間と自然との厳しい戦いは変わらずに続いているのかもしれません


むしろ文明の力や益を謳歌し 自然を痛めつけている現代のほうが 一層罪深く 自然界の怒りは より激しいものになっているような気がします



人類も地球の上では他の生き物達と変わらず「自然界の一構成員」に過ぎず 他者によって「生かされている弱い存在」であることを謙虚に認めなければならないような気がします









そんなことを考えさせられた「バッタ塚」訪問でした!









パッション!!!



じゃ また パー