先日、伯母が他界した。通夜の最中に思い出すことは、伯母との懐かしい思い出ばかりだ。伯母との思い出の中に怒られた記憶はなく、なぜかお正月のお年玉の記憶ばかりが多い。考えれば、お正月にしか顔を出していなかった気がする。
 伯母は、いつも変わった趣向で自分達にお年玉をくれていた。よく覚えているのは、一本の紐に50円玉を無数に通してあるものと、ポチ袋に入っている通常のお年玉のどちらがいいかを自分達に選ばせる。どちらも、金額は不明だ。子供心が激しく揺れ動く。結果、50円玉を選択した。理由は、見た目の豪華さとずっしりとした感触にとても魅力を感じたし、何よりも、袋の中の金額よりも多いと想像したからだ!そのため、自分は50円玉。残りのポチ袋のお年玉を妹がいただくことになった。
 家に帰り、すぐに勘定をはじめた・・・8500円くらいだった記憶がある。妹の袋の中身は10000円だった。
 まるで「舌きり雀」である。大きなつづらにお化けこそ入っていないまでも、強欲は損にいたることを知らされた。(笑)
 それ以外にも、500円玉の片手つかみ取りをさせてもらったりと、趣向をこらしたお年玉はいつも楽しかった。
 父は、兄弟の中で末っ子にあたり、伯母は長女だ。年の差も15才離れている。父が幼少の頃は、よくおんぶされて、世話をしてもらっていたようだ。だから、強情で偏屈な父も伯母には素直だ。
 伯母が他界してしまったことで、父の兄弟は皆いなくなり、父だけが一人残ってしまった。
 夏が終わり、秋の涼しさがあるこの季節に父の寂しさは、より一層のことだろうと思う。
 通夜の時の、伯母の写真は自然な表情でにこりと笑い、生前の気さくで、明るく人情味があり、頼りがいのある人柄がよく出ていた。
 葬儀のある今日は雨で、父の母である祖母の葬儀も雨だったことを想い出す。