小学3年生の冬期講習から中学受験対策塾に入りました。

・中学受験の動機
私は地方出身で首都圏の中学受験事情にはうとく、中学受験の熾烈さに実感が湧いていませんでした。開成のことは「東大合格者数日本一」という程度の認識で、受験するとはよもや考えていませんでした。入塾前には栄光学園の名前に漠然と憧れを持っていたくらいです。でも無縁だろうと思っていました。

4年生になったらとりあえず塾へ行くもの、と思い込み塾探しをしました。中学受験の勉強は、たとえうまくいかなくても、将来役に立つだろうと考えていたのです。というのは、留学や就職のための標準テストが中学算数の内容に酷似しているからです

中学受験で理科算数をしっかり勉強することは、大人になってからのITスキル向上にも役に立つのでは、というメリット計算はありました。

職場でも中学受験組の方がPC操作や事務処理が速いという感覚を得ています。

・開成中学を受験した理由
入塾時は上から2番目のクラスでしたので、自然体では御三家受験は無理なレベルです。


特に算数が苦手で、典型的な文系でした。受験までひたすら私が支援して算数のテコ入れを続けました。長く苦しい算数との戦いが続きました。

塾以外の受験者も参加する公開模試での偏差値は、国語社会は大体60前後で、算数理科は50を切ることもよくあり、悩みの種でした。「一体どうしたらいいの~」と叫びたくなりました。

小学5年生の夏休みの過ごし方をチューターの先生に相談した時には、「ご三家に行ける頭だとは思うけれど、合うかどうかというと、麻布というのも開成というのも少し違うかも」と言われました。「栄光は向いているし、渋々も向いているでしょう、栄光は特にお勧めする。駒東、早稲田あたりはどうですか?」というようなお話でした。

それでも塾の先生の指示を着実に守って、なりふり構わず苦手克服に努めた結果、小学5年生の夏休み以降はトップクラスに安定することができました。

結局、開成を受験することになったのはその後の頑張りで1番上のクラスに定着していたことで先生に受験を勧められたことと、息子自身の決心です。

・息子の心境
中学受験時期ほど勉強している息子はその後見たことがありません。机の前から離れたことがないという状況で、常にストップウォッチを握りしめていました。それくらい塾の宿題がヘビーなのです。

受験後に塾の3年間の教材を積み重ねると5メートルになりました。

私が見たところ、塾が合っているようだったのですが、本人は「洗脳されていた」と言っています。周囲の塾生も似たような境遇で、話も合うし、勉強は大変だけれどもやりがいや楽しみも感じていたようです。

実は、本人は小学5年生の10月の開成の学校説明会で開成のことをひそかに気に入り、本気で入りたいと思ったようです。(一方、私は絶対無理、と思いました)

・受験に至るまで
また、小学6年生くらいになると反抗期に陥る男の子も多く、親からの制御不能に陥るようですが、当時の息子は私に従順でしたので、受験戦略の歯車が狂いませんでした。

小学6年生9月のサピックスオープンでは、麻布の合格可能性70%、開成は50%でした。受験決定には悩みましたが、息子の強い意思は変わりませんでした。

過去問演習が始まるとゲーム感覚で楽しそうに解いていたのが少しは救いでした。
算数の計算問題の切り抜きまで作って、最後まで算数の苦手克服のためにやれることをすべてやり尽くしました。

そうしたら、なんと最終の過去問演習で初めて、開成演習で人並みな合格点をとることができたのです。ここで奇跡的に間に合ったのでした。

西日暮里の開成の合格発表で息子の受験番号を見つけた時には、涙がこぼれ、「人生最大の喜び」と思いました。

次回は、今振り返って感じる「中学受験の意義」をお話したいと思います。