亥鼻城

『別名』
猪鼻城、千葉城

『所在地』
千葉県千葉市中央区亥鼻1-6-1

『城主』
千葉氏

『遺構』 
曲輪、土塁、堀跡、模擬天守

『城郭形態』
平山城

『駐車場』
あり(千葉市立郷土博物館)

『歴史』
亥鼻城は大治元(1126)に千葉常重が大椎城から、この地に移り築城したと言われています。
常重の子、常胤は治承4(1180)に源頼朝が伊豆で挙兵し石橋山合戦で敗北し、安房に脱出した際に頼朝を助け鎌倉幕府樹立に大きく貢献しました。
この活躍で千葉氏は下総のほか奥州、九州等にも所領を増やし最盛期となりました。

康正元(1455)前年に勃発した古河公方と鎌倉公方(堀越公方)の対立による騒乱(享徳の大乱)で千葉氏にも内紛が勃発し、宗家、千葉介十四代・胤直、胤宣父子を一族の馬加城主・馬加康胤、小弓城主・原胤房によって急襲され落城し千葉胤直父子は志摩城、多古城にて自刃し千葉氏の宗家は滅亡しました。
亥鼻城は千葉宗家を継いだ康胤の孫・輔胤により廃され本佐倉城に移ったと言われています。

模擬天守と千葉常胤公像
大河『鎌倉殿の13人』の影響で千葉常胤公の幟があちこちにありました(#^^#)

模擬天守



本曲輪 土塁

本曲輪 虎口

本曲輪と三ノ曲輪間の堀切

三ノ曲輪(神明社)

石碑