芥川山城
『別名』
芥川城、原城、三好山城
『所在地』
大阪府高槻市大字原6-1
『城主』
能勢氏、細川晴元、三好氏、和田惟政、高山氏
『遺構』
曲輪、土塁、石垣、堀跡
『城郭形態』
山城
『駐車場』
あり(摂津峡駐車場)
『歴史』
芥川山城は永正12(1515)に、細川高国の配下・能勢氏によって築城されたと言われています。
その後、細川高国との争いに細川晴元が勝利しましたが三好長慶によって細川晴元が京に追われた為、芥川山城は三好氏の本拠地となりました。
永禄11(1568)に織田信長が摂津に侵攻すると芥川山城は落城し城主・三好長逸と細川昭元は阿波国へ逃れました。
その後、芥川山城は『摂津三守護』・和田惟政が城主となりますが永禄12(1569)に三好三人衆による将軍・足利義昭襲撃『本圀寺の変』が起き、逸早く駆付け撃退した功績により和田惟政は高槻城を与えられた為、家臣・高山友照が芥川山城主となりました。
元亀2(1571)に中川清秀・荒木村重の連合軍と茨木重朝・和田惟政の連合軍の間で起きた『白井河原の戦い』で和田惟政が討死した為、息子・和田惟長が高槻城主となりましたが、天正元(1573)に高山友照・右近父子により追放され高山氏が高槻城に本拠地を移した為、芥川山城は廃城となりました。
芥川山城・其の2へ続く〜♪♪(*^^*)














