大阪城
『別名』
金城、錦城、浪華城、大坂城
『所在地』
大阪府大阪市中央区大阪城1-1(大阪城公園)
『城主』
豊臣氏、徳川氏
『遺構』
復興天守、曲輪、櫓、門、石垣、堀跡
『城郭形態』
平山城
『駐車場』
あり(大阪城公園)
『歴史』
大阪城(大坂城)は石山本願寺跡に天正11(1583)~慶長3(1598)に豊臣秀吉によって築城されました。
慶長4(1599)に秀吉が亡くなった後は、遺児・豊臣秀頼が伏見城から大坂城へ移りました。
慶長8(1603)に徳川幕府が成立した後も、秀頼は大坂城に留まり摂津、河内、和泉を支配していましたが、慶長19(1614)に徳川家康と豊臣秀頼の間で起きた『大坂冬の陣』において講和条件として惣構と三ノ丸と二ノ丸の破却が取り決められ、大坂城は内堀と本丸のみを残す裸城にさせられました。
その後、秀頼は堀の再建を試みた為に講和条件を破棄したと見做され慶長20(1615)に大坂夏の陣が起こり大坂城は落城し、豊臣氏は滅亡しました。
その後、大坂城は家康の外孫・松平忠明に与えられましたが元和5(1619)に天領に編入されました。
元和6(1620)から2代将軍徳川秀忠によって大坂城の再建が始められ、寛永6(1629)に完成しました。
寛文5(1665)には落雷によって天守を焼失し以後、天守を築かれる事はありませんでした。
慶応3(1867)に発せられた王政復古の大号令の後に、二条城から追われた将軍徳川慶喜が大坂城に移り居城していましたが、慶応4(1868)に起きた旧幕府軍の鳥羽・伏見の戦いでの敗北によって慶喜は、船で江戸へ退却し、大坂城は新政府軍に開け渡されました。
この前後の混乱の内に出火し、御殿や外堀の四、五、七番櫓や城内の建造物等が殆ど焼失したと言われています。
その後、昭和3(1928)に当時の大阪市長が天守の復興を提案し再建され現在の三代目天守に至ります。
大阪城・其の2へ続く♪ヾ(*⌒0⌒)ノ"