首里城
『別名』
首里グスク、中山グスク、御城(うぐしく)
『所在地』
沖縄県那覇市首里金城町1丁目2
『城主』
第一尚氏、第二尚氏
『遺構』
城壁、復元正殿、復元門等
『城郭形態』
山城
『駐車場』
あり
『歴史』
首里城の築城年代は不詳ですが発掘調査の結果、最も古いと推定されている遺構は14世紀末期・応永7(1400)の物と言われています。
この頃の沖縄は、三山時代『元亨2(1322)~永享元(1429)』と言われており南部・南山(山南)、首里城が建つ中部・(中山)、北部・北山(山北)の三つの王統が並立していました。
15世紀初頭・応永7(1401)に山南・中山・山北の間で分立抗争が起き、南山佐敷の按司・尚巴志王は中山を滅ぼして父・尚思紹王を中山王としました。
応永28(1421)に父・尚思紹王の死により尚巴志王は2代目・中山王に即位しました。
尚巴志王は応永29(1422)に山北を、永享元(1429)には山南を滅ぼし、琉球を統一し琉球王国を建国しました。
元亨2(1322)より107年続いた三山時代の幕を閉じました。
その後、首里城は尚巴志王統(第一尚氏)7代と尚円王統(第二尚氏)19代の居城となりました。
明治12(1879)に明治維新により設立した明治政府によって琉球王国の19代国王・尚泰王が首里城から東京都千代田区麹町に追放されました。
後、『沖縄県』を設置し琉球王国は滅亡しました。



