要害山城
『別名』
要害城、積翠山城、丸山の城、石水寺城
『所在地』
山梨県甲府市上積翠寺町1003
『城主』
武田氏、徳川氏、加藤光泰
『遺構』
曲輪、土塁、石垣、堀跡
『城郭形態』
山城
『駐車場』
あり
『歴史』
要害山城は天正3(1575) に武田信虎によって躑躅ヶ崎館の詰城として築城されたと言われています。
尚、武田信玄の生誕地とも伝えられています。
天正3(1575)に織田・徳川連合軍と武田軍の間で起きた『長篠の戦い』で大敗した武田勝頼は翌年、天正4(1576)に要害山城の修築を家臣・駒井高白斎に命じ開始しました。
天正10(1582)に起きた織田信長による『甲州征伐』で武田氏が滅亡した後は、徳川氏により改修し維持されていましたが豊臣秀勝が甲府城を築城した為
(徳川家康築城説もあり)、要害山城は躑躅ヶ崎館と共に廃城となりました。