羽根倉古戦場

『別名』
なし

『所在地』
埼玉県富士見市大字南畑新田1267-1(富士見市運動公園)

『駐車場』
あり

『歴史』 
羽根倉古戦場は現地の解説板によると。
この辺一帯は、南北朝時代の観応2(1351)12月9日、難波田城主・難波田九郎三郎と高麗の住人・高麗彦四郎経澄とが対戦した場所である。

当時、室町幕府では、将軍・足利尊氏と弟・直義との間に反目が続き、関東の武士団もそれぞれ両派に分かれて、互いに争っていた。
たまたま高麗経澄は尊氏方に属して、宇都宮氏討伐のため下野に下向中だったが、直義党の根拠地鎌倉の攻略に転じ、同年同月17日、武州鬼窪に兵を挙げると、鎌倉街道を一路、府中へ向かって進撃してきた。
それを直義側の難波田九郎三郎が、この羽根倉の地に迎え撃ったのである。
合戦の結果は、難波田勢の敗北に帰し、九郎三郎はじめ多くの部下が討死した。
との事です。

解説板と羽根倉古戦場 跡地