新発田城
『別名』
菖蒲城、舟形城、浮舟城、狐の尾引城、狐尾曳ノ城
『所在地』
新潟県新発田市大手町6-4
『城主』
新発田氏、溝口氏
『遺構』
曲輪、土塁、石垣、水堀、櫓、長屋、門、御三階櫓(復元)、辰巳櫓(復元)
『城郭形態』
平城
『駐車場』
あり
『歴史』
新発田城は当初、上杉氏の家臣・新発田重家の居城でしたが。上杉謙信の跡を継いだ上杉景勝に反旗を翻した為、天正15(1587)に上杉勢によって攻められ落城し新発田重家は自刃したと言われています。
その後、新発田城は上杉氏の支配下となりましたが慶長3(1598)に豊臣秀吉の命により上杉景勝が会津若松に移封されると豊臣秀吉の家臣・溝口秀勝が6万石を与えられて入封しました。
その後、新発田城は溝口氏代々の居城となり明治維新に至りました。
また新発田城には赤穂浪士に纏わる逸話があります。
赤穂浪士の一人・堀部安兵衛(堀部武庸)の父・中山弥次右衛門は新発田城 辰巳櫓の管理責任者でしたが辰巳櫓が失火し、その責任から藩を追われて浪人となり、その後、父・中山弥次右衛門が死去し堀部安兵衛は家名再興の為に江戸に出て名を上げ赤穂浪士となったと言われています。