盛岡城

『別名』
不来方城

『所在地』
岩手県盛岡市内丸1-80

『城主』
南部氏

『遺構』
曲輪、石垣、土塁、堀跡、移築土蔵、門跡

『城郭形態』
平山城

『駐車場』
あり

『歴史』 
盛岡城は慶長3(1598)に南部信直によって築城が開始され南部重直の代、寛永10(1633)に完成しました。

南部信直は豊臣秀吉の家臣となり天正19(1591)に豊臣政権と九戸政実の間で起きた『九戸政実の乱』を鎮圧した後、宮野城を改修し福岡城(九戸城)と改め居城としました。
その後、南部信直は浅野長政の進言を受け慶長3(1598)に盛岡城の築城を開始したと言われています。

南部信直は嫡男・利直を総奉行として築城をしていましたが難工事で元和年間(1615~1624)に福岡城から盛岡城へ移りましたが度重なる洪水の影響で一時、斯波氏の高水寺城を改修した郡山城へ移りました。
その後、南部重直によって寛永10(1633)に完成し以後、南部氏代々の居城となり明治に至りました。



本丸と二ノ丸間の堀跡 

本丸

本丸とニノ丸間の堀跡

櫓台

彦御蔵