不破の関 

『別名』 
不破関 

『所在地』
岐阜県不破郡関ケ原町大字松尾148付近

『城主』
三輪氏 

『遺構』
土塁 

『城郭形態』
関所 

『駐車場』
あり(不破関資料館) 

『歴史』
日本書紀によると672年に天智天皇の子・大友皇子(弘文天皇)と弟・大海人皇子(天武天皇)との間で皇位継承を巡って起きた『壬申の乱』の際に大海人皇子(天武天皇)の命により村国男依が美濃国の湯淋令・多品治に連絡し不破道を塞いだと言われています。

不破の関は古代東山道の関所の1つで壬申の乱の際に近辺が激戦地となりました。 
673年に天武天皇の命により都(飛鳥宮・飛鳥浄御原宮)を守る為に不破関、鈴鹿関、愛発関の3つの関所(三国之関または三関)が設置され三関から西は関西、東は関東と呼ばれるようになりました。

延暦8(789)に桓武天皇の勅により三国之関は閉鎖されました。

不破関跡

解説板


不破関西城門跡



関古川