大垣城
『別名』
巨鹿城、麋城
『所在地』
岐阜県大垣市郭町2-52
『城主』
竹腰氏、氏家氏、伊藤氏、岡部氏、久松松平氏、戸田氏
『遺構』
曲輪、石垣、堀跡、天守(復元)、櫓(復元)、櫓門(復元)
『城郭形態』
平城
『駐車場』
あり
『歴史』
大垣城は天文4(1535)に土岐氏の家臣・宮川安定が築城したという説と明応9(1500)に竹腰尚綱によって築城されたと説があります。
天文13(1544)に織田信秀(織田信長の父)が入城した後、豊臣秀吉が天正18(1590)に小田原征伐で北条氏を滅ぼすまでに氏家直元、池田恒興、羽柴秀勝(豊臣秀吉の養子)等、城主が目まぐるしく変わりました。
慶長元(1596)に羽柴秀勝の後に城主となった伊藤祐盛によって天守が築かれたと言われています。
慶長5(1600)に起きた石田三成が率いる西軍と徳川家康が率いる東軍との間で起きた『関ヶ原の戦い』に際して大垣城は石田三成が率いる西軍の拠点となりました。
大垣城の西軍は東軍率いる徳川家康が大垣城西北にある御勝山に陣取った為、関ケ原に向かいました。
関ヶ原の戦いは小早川秀秋の裏切りもあり西軍が総崩れになり僅か半日で徳川家康が率いる東軍が勝利を収め終戦しました。
慶長6(1601)に徳川家康は石川康通を大垣城主とし、松平氏、岡部氏を経て寛永12(1635)に摂津尼崎城より戸田氏鉄が10万石で入封し以後、大垣城は戸田氏11代の居城となり明治維新を迎えました。