保渡田城

『別名』
なし 

『所在地』
群馬県高崎市保渡田町1330

『城主』
内藤昌豊

『遺構』
曲輪、土塁、堀跡、櫓台 

『城郭形態』
平城 

『駐車場』
あり(保渡田北部公会堂) 

『歴史』
保渡田城は現地の解説板によると
上野侵攻を進めた武田信玄により攻められ永禄9(1566)9月29日に箕輪城が落城した後に、信玄は箕輪城代を浅利信種としましたが永禄12(1569)に武田信玄と北条氏照・北条氏邦の間で起きた『三増峠の戦い』の戦いで浅利信種が討死した為、後任の内藤昌豊は保渡田砦を改修して居城、西上野支配の拠点としました。

その後、天正3(1575)に織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼の間で起きた長篠設楽原の戦いで内藤昌豊が討死した為、養子・昌明が箕輪城代となりますが、後に中川武蔵守に攻められ自刃したと伝えられています。
その後、保渡田城は廃城となったと言われています。 

天主山櫓台(天子塚古墳)

解説板