国府台合戦場
『別名』
相模台の合戦
『所在地』
千葉県松戸市下矢切764付近
『駐車場』
なし
『歴史』
国府台合戦場は、天文7(1538)と永禄7(1564)の二度に渡る合戦場です。
天文7(1538)に小弓公方・足利義明、里見義堯と北条氏綱の間で起きた『第一次国府台合戦』で足利義明は里見義尭ら房総勢1万を率いて国府台に出陣しました。
対して古河公方・足利晴氏の要請を受けた小田原の北条氏綱は2万の大軍で足利義明軍を攻めました。
この戦で自ら前線に立った総大将・足利義明は討死し、里見義堯は安房し北条氏綱勢の勝利で終戦しました。
その後、永禄7(1564)に里見義尭の子・里見義弘と北条氏綱の子・北条氏康の間で起きた『第二次国府台合戦』では里見側が勝利しましたが、勝利の祝いで酒に酔って寝込んでいる隙を突き北条氏康は総攻撃を仕掛け、里見氏は敗北し上総へ敗走したと言われています。