新堀城

『別名』
多比良城

『所在地』
群馬県高崎市吉井町多比良2282付近

『城主』
多比良氏

『遺構』
曲輪、土塁、空堀

『城郭形態』
平山城

『駐車場』
なし(普賢寺の駐車場を利用)

『歴史』
新堀城は永享10(1438)に関東管領・上杉憲実が鎌倉公方・足利持氏と争って鎌倉から退き平井城を本拠とした後に、西の守りとして一郷山城と共に新堀城を築城したと伝えられています。
永禄6(1563)に武田信玄によって攻略され上杉氏の宝物も悉く焼失したと言われています。
天正18(1590)に起きた豊臣秀吉の小田原征伐の際に城主・多比良友定が上杉景勝の先鋒・藤田信吉に降伏し廃城となりました。

余談ですが、永禄6(1563)に武田信玄によって攻略された際に城主・多比良友定は武田に降り曝される事は末代の恥だと言い放ち子女を自害させ自らも自刃したと伝えられていますが、なら天正18(1590)の小田原征伐の際に上杉景勝の先鋒・藤田信吉に降伏した、多比良友定は??
……と疑問を抱き調べてみたところ、上杉景勝方に降伏した多比良友定は、同名で自刃した友定の子との事です。

城跡碑と解説板



本曲輪 空堀

本曲輪