手子生城

『別名』
手子丸城

『所在地』
茨城県つくば市手子生1078

『城主』
八田氏、小田氏、菅谷氏

『遺構』
曲輪、土塁、空堀、土橋

『城郭形態』
平城

『駐車場』
なし

『歴史』
手子生城は正治年間(1199~1201)に平安時代末期~鎌倉時代初期の武将・八田知家の子・小田知重が小田城の支城として築城したと伝えられています。

元亀4(1573)に小田城が佐竹義宣に攻められ小田氏治が土浦城に落ち延びると、多賀谷氏の家臣・菅谷正光が手子生城主となりました。

天正5(1577)に小田氏治は北条氏政の助けを借り、手子生城を奪還し居城としました。
その後、土浦城や木田余城等を拠点とし、幾度となく佐竹氏と戦いますが小田城奪還には至らず撤退しました。
天正18(1590)に起きた豊臣秀吉による小田原征伐の際に小田氏治が参陣せず豊田方の佐竹氏と戦った為、所領を没収され小田氏は滅亡しました。

その後、小田氏の家臣・菅谷範政が、土浦城から手子生城に入りますが、元禄11(1698)に、菅谷氏は遠江に移封となり、手子生城は旗本・堀田大五郎の陣屋して存続しましたが、明治維新後に廃城となりました。

石碑

土塁と堀跡

土橋  

曲輪