針ヶ谷陣屋

【別名】
三郎山、熊沢氏館

【所在地】
埼玉県さいたま市浦和区北浦和2-19-11

【城主】
熊沢氏、中村氏

【遺構】
なし

【城郭形態】
陣屋

【駐車場】
なし

【歴史】
針ヶ谷陣屋があった場所は『三郎山』とも呼ばれています。
由来は、岩槻城主・太田氏房(北条氏房)の家臣・熊沢三郎左衛門忠勝の館があったからだと伝わっています。

その後、熊谷三郎左衛門忠勝の館は、天正18(1590)の豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏が滅び、徳川家康が関東へ入国すると岩槻城主・高力清長の家臣・浦和郷代官.中村弥右衛門吉照の陣屋となり針ヶ谷陣屋と呼ばれていました。

針ヶ谷陣屋は、寛永年間(1624~1645)まで存続したと言われています。
熊谷三郎左衛門忠勝は手代として中村弥右衛門を補佐し手腕を振るったと伝わっています。
中村弥右衛門吉照が元和8(1622)に没すると熊谷三郎左衛門忠勝が代官職を継ぎました。

熊谷三郎左衛門忠勝の陣屋『向陣屋』は川口市芝字峰町にありました。

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