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国府台城
『別名』
里見城、市川城、鴻之台城
『所在地』
千葉県市川市国府台3-9(里見公園)
『城主』
千葉氏、里見氏、後北条氏
『遺構』
曲輪、土塁、堀跡、井戸跡
『城郭形態』
平山城
『駐車場』
あり(里見公園)
『歴史』
国府台城は文明11(1479)に太田道灌によって築城されたと言われています。
天文7(1538)に小弓公方・足利義明、里見義堯と北条氏綱の間で起きた『第一次国府台合戦』で足利義明は里見義尭ら房総勢1万を率いて国府台に出陣しました。
対して古河公方・足利晴氏の要請を受けた小田原の北条氏綱は2万の大軍で足利義明軍を攻めました。
この戦で自ら前線に立った総大将・足利義明は討死し、里見義堯は安房し北条氏綱勢の勝利で終戦しました。
その後、永禄7(1564)に里見義尭の子・里見義弘と北条氏綱の子・北条氏康の間で起きた『第二次国府台合戦』では里見側が勝利しましたが、勝利の祝いで酒に酔って寝込んでいる隙を突き北条氏康は総攻撃を仕掛け、里見氏は敗北し上総へ敗走したと言われています。
その後、後北条氏の居城となりますが天正18(1590)に起きた豊臣秀吉による小田原征伐で後北条氏が滅ぼされた後、徳川家康が関東に移封されると、江戸城の俯瞰の地であることから国府台城は廃城となりました。
井戸(羅漢の井)
土塁
明戸古墳 石棺
江戸川