薄倉城 


『別名』

中城、四方の砦 


『所在地』 

群馬県利根郡みなかみ町須川1685


『城主』

不詳 


『遺構』

曲輪、堀跡、土塁 


『城郭形態』

平城 


『駐車場』

なし 


『歴史』

薄倉城は天正10(1582)に須川の地侍衆が籠城し名胡桃城代・鈴木主水重則の家臣・中山九兵衛と戦った城と言われています。

尚、須川の地侍衆は泰寧寺を狼煙代わりに焼いて沼田城へ危急を知らせたと言われています。


標柱と解説板
縄張り図が素晴らしかったです✨


薄倉城の様子

ド藪過ぎて何が何だか分からなかったです(笑) 

薮枯れする時期にでも再登城しに行きたいと思っていま〜〜す😊👆️ 


外堀

辛うじて😆(笑)


若宮館 


『別名』

若宮城、富木館


『所在地』

千葉県市川市若宮2-21-1(若宮奥之院)


『城主』

富木胤継 


『遺構』

土塁 


『城郭形態』

館 


『駐車場』

なし 


『歴史』

若宮館(若宮奥之院)は鎌倉時代の富木五郎胤継の館跡と伝えられています。

胤継は下総守護である千葉頼胤に仕えてこの地を与えられ、後に日蓮に帰依して館を寺としたのが現在の若宮奥之院であると言われています。


中山法華経寺 奥之院


石碑


解説板




土塁

滝行の滝

この日は運良く滝が流れるも見れてマイナスイオンをガッツリと浴びて気持ちが良かったです✨

国府台城


『別名』

里見城、市川城、鴻之台城


『所在地』

千葉県市川市国府台3-9(里見公園)


『城主』

千葉氏、里見氏、後北条氏


『遺構』

曲輪、土塁、堀跡、井戸跡


『城郭形態』

平山城 


『駐車場』

あり(里見公園)


『歴史』

国府台城は文明11(1479)に太田道灌によって築城されたと言われています。

天文7(1538)に小弓公方・足利義明、里見義堯と北条氏綱の間で起きた『第一次国府台合戦』で足利義明は里見義尭ら房総勢1万を率いて国府台に出陣しました。
対して古河公方・足利晴氏の要請を受けた小田原の北条氏綱は2万の大軍で足利義明軍を攻めました。

この戦で自ら前線に立った総大将・足利義明は討死し、里見義堯は安房し北条氏綱勢の勝利で終戦しました。

その後、永禄7(1564)に里見義尭の子・里見義弘と北条氏綱の子・北条氏康の間で起きた『第二次国府台合戦』では里見側が勝利しましたが、勝利の祝いで酒に酔って寝込んでいる隙を突き北条氏康は総攻撃を仕掛け、里見氏は敗北し上総へ敗走したと言われています。

その後、後北条氏の居城となりますが天正18(1590)に起きた豊臣秀吉による小田原征伐で後北条氏が滅ぼされた後、徳川家康が関東に移封されると、江戸城の俯瞰の地であることから国府台城は廃城となりました。


堀跡



井戸(羅漢の井)

櫓台か?





土塁



明戸古墳 石棺


堀跡


江戸川