館山城 


『別名』

里見城、根古屋城

 

『所在地』

千葉県館山市館山338-4(城山公園) 


『城主』

里見氏 


『遺構』

曲輪、堀跡、御殿跡、模擬天守


『城郭形態』

山城


『駐車場』

あり


『歴史』

館山城は天正18(1590)に里見義頼によって築城されたと言われています。 

慶長19(1614)に起きた粛清事件『大久保長安事件』で里見忠義は連座した為、伯耆(鳥取県)倉吉に転封となりました。 

元和8(1622)に里見忠義が没すると嗣子が無く里見家は断絶となり館山城は廃城となりました。 


模擬天守

石碑



本曲輪から見た眺め



堀切

伝 義康御殿跡

館山神社から見た館山城模擬天守

館山城 遠景 


鹿島堀(外堀) 

鹿島堀の近くには上藤井遺跡もあります。
上藤井遺跡は慈恩院⛩️の周辺にあったと言われていて土器や矢じりが出土したと言われています。


大膳屋敷 解説碑


岡部氏陣屋


『別名』

岡部藩陣屋、安倍摂津守陣屋、安部摂津守屋敷


『所在地』

埼玉県深谷市岡部1211


『城主』

安倍氏


『遺構』

移築門


『城郭形態』

陣屋


『駐車場』

なし


『歴史』

岡部氏陣屋は、安部信勝が今川氏の後に徳川氏に仕えた頃に5200石を領し、その後信盛の代になり加増を受けて、慶安2(1649)に1万石を加増され、信之の代に2万200石、信友の代に2万2,200石となり信友の子・信峯によって築かれたと伝えられています。

岡部氏陣屋は、明治維新まで安倍氏の居館として用いられていましたが、慶応4(1868)に藩主・信発が明治新政府側に願い出て三河国半原藩(愛知県新城市)へ移転した為、岡部陣屋は廃されました。

尚、陣屋跡地は幕末に砲術家・高島秋帆の身柄を預かっていたと伝えられていて現在、石碑が立っています。 


陣屋跡地に建つ高島秋帆幽囚の地の石碑


解説板


旧岡部陣屋移築地方通用門


石倉城


『別名』

なし 


『所在地』

群馬県前橋市石倉町5-7-12


『城主』

長尾氏、武田氏、後北条氏


『遺構』

曲輪、堀跡


『城郭形態』

平城


『駐車場』

なし 


『歴史』

石倉城は文明17(1485)に長尾憲景によって築城されたと言われています。

永禄8(1565)に武田信玄が上杉謙信方の前橋城と箕輪城を分断する目的で再築し、その後、武田信玄は石倉城を拠点に箕輪城を落城させました。 

天正10(1582)の武田氏滅亡後に後北条氏の持城となり天正18(1590)に起きた豊臣秀吉による小田原征伐によって攻められ開城しました。


石碑


鳥瞰図


解説碑 


二ノ丸公園


外堀 

この日に同行した友人達と一緒に貴重な遺構を見れて良かったッス😆👍️