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THE PAGE 1月17日(金)20時11分配信
(文・本郷陽一)

日本の野球殿堂入りするメンバーが17日、発表され、近鉄、ドジャースなどで日米通算201勝を挙げた野茂英雄氏(45歳)、横浜(現DeNA)とマリナーズで日米通算381セーブを記録した佐々木主浩氏(45歳)、西武とダイエーで7度の日本一を経験したソフトバンクの秋山幸二監督(51歳)が、それぞれプレーヤー表彰で選ばれた。

■史上最年少での快挙

野茂氏は、殿堂入りの候補資格を得て1年目の選出で、スタルヒン、王貞治以来の快挙。45歳4か月での選出は、史上最年少となったが、野茂氏とドラフトでの同期入団となる佐々木氏も45歳10か月。若い2人が揃って選ばれることになった。

野茂氏は、「NOMOベースボールクラブ」が活動している、兵庫県豊岡の城崎温泉で会見を開き「本当に驚いています。投票していただいた方、これまで支えてくれた方、家族、チームメイト、周りの人に感謝したい。記者とは現役時代にあまり仲良くなかったのに資格を得た1年目で(記者投票で)選ばれたことに正直驚いていますし感謝しています」と話をした。

■大魔神・佐々木もリスペクトする存在

東京ドームに併設されている野球殿堂で、会見に出席した佐々木氏は「野茂以降、たくさんの選手がメジャーリーグに行ったが、もっとも凄いのは誰か?と聞かれれば私は野茂の名前を挙げたい。ノーヒッターも2回。(選手のレベルも)今とは選手(のレベルも)違っていた」と言った。野茂は、“大魔神”にリスペクトされるほどのパイオニアだった。


■最も野茂に嫌われていた記者

彼は会見で記者と不仲だっだと話したが、それは私のことを指してるのかもしれなかった。私はスポーツ新聞記者だった時代に、「最も野茂に嫌われていた記者」として有名だった。

フロリダでのドジャース・ベロビーチキャンプ。大物選手のほとんどは、施設外のコンドミニアムや、一軒家を借りてキャンプを送っていたが、彼は、現在、ヤクルトの編成担当をしている奥村政之を専属広報につけ、2人で、キャンプ施設内にある、とても快適とは言えない小さなバンガローみたいな部屋で1か月を過ごした。練習で必要な英会話集を奥村が作り、それをノートに書き写しながら野茂は、夜になると英語を勉強していた。

野茂の希望をドジャース広報部が聞き入れ、日本人記者のクラブハウス出入りは禁じられ、インタビューは4日に1度だけと決められた。それ以外の取材は一切シャットアウト。それでも、筆者が追いかけていると、「僕の夢を邪魔しないでください」と凄(すご)まれた。その迫力は今でも忘れられない。

■近鉄時代の勲章を捨て勝負した野茂

彼は、近鉄時代の勲章を捨て、メジャーに勝負に来ていたのだ。だが、ドジャ―スタジアムのロッカーでは、日本人記者は締め出されるが、敵地に行くと、そのルールはない。ストライキがあったため、開幕は、5月にずれこんだ。そのデビュー戦となる、対サンフランシスコ・ジャイアンツ戦の前日には、小さなロッカー内が日本の報道陣で無秩序にごった返した。

それに、キレた野茂は、ペロっと大きなお尻をだした。
「これなら写真も映像も出せないでしょう! もうええかげんにしてくださいよ!」

■異例の事態 ラソーダ監督が事態を収拾

慌ててトミー・ラソーダ監督が割って入ってきた。記者を集めて「聞きたいことがあれば私が代わりに答える。ヒデオにかかわるな!」と叫んだ。地元記者に聞くと、異例の事態だという。

”初めて”の日本人メジャーリーガーの取り扱いを巡って、現場も混沌としていた時代だった。1995年5月2日、今は姿を変えたキャンドルスティックパーク。多くの記者を収容できず、私はアメフト用の別席に追いやられた。すっと背筋を伸ばし、クルっと背中を向けて投じた、記念すべき、その1球目は、ストレートだった。

■野茂が切り開いたメジャーへの道

バリー・ボンズ、マッド・ウィリアムスらが揃ったクリーンアップには1本のヒットも許さず、5回91球を投げ被安打1、無失点、奪三振7。試合は、延長にもつれて勝ち負けはつかなかったが、ラソーダ監督は、野茂を絶賛、それまで冷ややかに見ていたロスのメディアも一転、「NOMO」の活字でヘッドラインを打った。

あれから19年の年月が経過した。野茂が、自らの夢を追い、日米にこじあけた扉を通って、イチローも、大魔神も、ゴジラも、ダルビッシュも海を渡った。マスメディアから離れた私は、殿堂入りの投票権を持たないが、気持ちの”一票”を野茂に投じた。


(文責・本郷陽一/論スポ、アスリートジャーナル)
最終更新:1月17日(金)20時59分
この文章に出てくるような記者は時の流れにより投票権が無いのだと思います
野茂氏を「パイオニア」として「リスペクト」している・・・
「メジャー取材初心者記者」の後の記者が投票しているのではないでしょうか

当時の記者に投票権があったなら
このような保身的な記事も出なかったでしょうね