2024/04/21(日)〜スタジオたからのす〜

昨日、山科ママの10周忌と位置づけたイベントを行いました。

現状、関内で運営されているのは”スタジオたからのす”という名称。
前身としては”BRAVE BAR”ですが、”遊楽”の後に入った”BRAVE BAR”が当初は”遊楽”を冠する約束で”遊楽BRAVE BAR”としていたものを改めたもの。そして”遊楽”という呼称こそがこの会場の始まりです。

更に遊楽は元々にもう少し関内駅に近かった蕎麦屋さんの”山科”を運営していたご夫婦から始まったもの。マスターが亡くなって気力が萎えていたママが再起した場所なんです。

この山科とBRAVE BARにはそれぞれ看板アーティストがいて、山科のSとBRAVE BARのT、おそらくこの二人と交流の深かったNが橋渡し役になったのかな?

個人的には、長らく既存曲の打ち込みに没頭した後にライブ活動を再開しようとした時に上海から来てた女性シンガーのサポート案件に繋がって、そこからTと関わるようになり、そこで出会ったNとの交流、その先でSとの関わりが生じたのがBRAVE BARから山科への流れ。

一緒にプレイして楽しいサウンドと聴いて心が洗われるサウンド…これがTとSの心象で、当時から今も変わらない。
そして、二人は性分においても真逆で、金を使いたくないなTと金で解決できるなら…のSというところがあり、ここがそれぞれのバックボーンとなるBRAVE BARと山科の違い。

それぞれの経営者の人柄も然りで、BRAVE BARでは毎日閑古鳥が鳴いているのに「演者からは出演料は取らない」とした上でノルマなしを謳っていた。つまりは”客、呼べるよね?”という無言の圧であり、集客0と1での演者への対応も明らかに違うにも関わらず、せっかく来てくれた友人たちは挙って「二度と行かねー」と言ってた。演者が呼んだお客様さんが唯一の売上なくせに笑顔一つなく仏頂面で言葉以上のものを感じさせない”ありがとうございました”だもんな。そのくせにオケの日と弾き語りの日が交互になってて、うちは夫婦で交互に呼ばれた。しかも大抵は「明後日は空いてますか?」で、酷いと「今夜どうですか?」だよ?逆に山科は参加費制にして”みんなが来てくれただけでありがたい”というスタンスだった。

そんなだから六本木末期のBRAVE BARは演者も嫌ってたのが明白なんだ。