〔新撰組〕土方歳三と水越けいこ | モンテクリストのブログ

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どちらかというと
「深夜族」の私なのですが
珍しく今日は早めに床についたのですが、二時間で目が覚めて寝れなくなり
「よーし」と
これを書いています。


たまに投稿する某ウェブサイトで最近
「新撰組で誰が一番好きか?」という事を投稿したら
答は圧倒的に土方歳三でした。


私は年間150冊位の本を読みますが
30%以上は歴史関係の本になります。

その中でも取り分け
「新撰組」関係はかなり読んできました。


特に土方歳三という人物には非常に関心があり、何故彼が最後の最後まで
負けると分かっていた戦いを闘い続けたのかを
自分なりに考えて来ました。

その結果、アメーバのプロフィールの
尊敬する人の欄に土方の名前があるのです。


土方の写真が一枚だけ残っています。
当時の未熟な写真技術でも、二重の切れ長の涼しげな目元の美男子(私みたいに…アッすいません、ウソです)ですから
実際に会ったら、相当ないい男だったのでしょう。

頭は凄まじく切れます。
これは私が読んだ殆どの文献でも認めています。
まさに研いだカミソリのような切れ味。

同時に、ある意味非常に複雑な人物です。

マキャベリストのように、目的の為には手段を選ばないという事も一見平然とします。


〔補足〕
「このブログは歴史解説のブログでは無いので、具体的な歴史事実を書き連ねる事よりも(必要以外)私がどう思っているかを趣旨としています」


京都で敗れた後、彼は若い時からの親友であった、新撰組局長近藤勇とも袂を分かち、北へ北へと転戦していきます。


ここで
これを読んでいただいている方に質問があります。

あなたなら、明らかに負けると分かっている戦いを、最後の最後まで闘い続けますか?


これは土方の事を認めてから、25年以上私自身が自分に問いかけてきた事です。


勝てば官軍
負けると分かっていていて戦うなんて意味がない
労力の単なる無駄な浪費
馬鹿げたヒロイズム
時代について行けなかっただけ
勝つ手段を取らない事自体が間違い
人生は勝ってなんぼだ
戦いからは何も生まれない
etc……

全て一面においては正しいのでしょう。


でも
男は負けると分かっていても闘わなければいけない時がある
たとえそれが周りから見て、どんなに馬鹿げた事であっても。
私はそう思うのです。

アナクロニズムと呼ばれても。

それが男が男である事を証明する、最も大切な事ではないかと私は思います。

価値観は人様々です。
全く違った価値観も私は認めます。


だだ
私は土方歳三のような「敗者の美学」に
より親近感が湧くのです。



敗けを噛みしめるのもまた人生です。

どうしようもなく自分が情けなくて
悔しくて、悔しくて
拳を強く握りしめ、堪えきれずにボロボロ一人涙を流し
嗚咽するのも
生きているからこそです。


嬉しくて、嬉しくて
知らずに涙が溢れている程、嬉しくて


その歓びと哀しみの振幅が大きい程
生きる意味が見えて来るのかもしれません。

〔土方の事はなかなか一回では語りきれないので、また書きたいと思います〕


そして水越けいこ
彼女の歌を聞いていると、そんな様々な人々を見守るとても優しい眼差しを感じます。
〔今、「生きがい」を聞きながら書いてます。 「My Love」になりました〕

なんだろう
水越けいこのこの秘めた深さと激しさを感じさせる情感は。


やはり、他のアーティストに類を見ない「何か」を聞くたびに感じさせます。


長くなりました。

夜が明けるまでもう少しです。

私は夜が明けるまでの、この時間が一番好きです。

本格的に寒くなって来ました。

皆さん、お体ご自愛下さい。


(文中敬称略)