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憲法9条プロジェクト 〜守ろう1項、正そう2項〜

平和で安全な日本を子供たちに手渡すために、民間有志が情報と知恵を結集するブログです。

今回は、7月1日の衆議院・平和安全法制特別委員会での軍事アナリスト・小川和久氏による意見陳述をご紹介します。
小川氏は、いま国会で審議されている「平和安全法制」につながる、昨年7月の集団的自衛権に関する憲法解釈変更の閣議決定を支持する立場からの意見を述べています。
小川氏の話は、憲法の条文の枝葉に終始する今般の議論とは違って、安全保障政策の重要性を現実的な例を交えて述べたものです。その中で、憲法解釈の変更だけでは解決できない、憲法9条2項を改正しないと解消されない根本的な問題に触れている部分があります。その点については後ほど説明するとして、まずは小川氏の話を全文ここに掲載します。
(動画にもリンクを貼りましたので、視聴可能な方はぜひご覧ください。)

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ご紹介いただきました小川でございます。お招きいただきましてありがとうございます。

私は昨年7月の閣議決定を支持する立場からお話をいたします。

まず日本の安全保障、あるいは平和主義に関する議論というものは、日本国憲法と、国連憲章と、日米安保条約を同時に合わせ読み、その整合性の元に進められなければいけない。単に憲法の枝葉について議論をしていても、これは日本国憲法前文の精神に背反する問題であるということは申し上げざるを得ない。

その視点から言いますと、昨年7月の閣議決定も、現在行われている議論も、憲法に反する部分はございません。何故かといえば、日本国憲法は国連憲章のいずれの条文も否定しておりません。また日本国憲法は日米安保条約のいずれの条文も否定しておりません。条約を結ぶということは日本国憲法に反していればこれは結べないわけであります。その中で我々はこの集団的自衛権の議論を整理しなければいけない立場でございます。

よく解釈改憲などという言い方がありますけれども、昨年7月の閣議決定というものは、その解釈改憲というような考え方から見ても、ほとんど抵触しないようなレベルのものでございます。で、過去において憲法解釈がドラスティックに変えられたというのは、昭和29年12月、保安隊が自衛隊になる時です。これはそれまでの吉田首相の見解とは全く異なる。そういうところで解釈が変えられました。

これについての国民の過半数は、許容範囲内にあるという受け止め方をして、これを認めたわけであります。ここから見れば、昨年7月1日の閣議決定、この憲法解釈の変更というものは、やはり、そこには該当しないという考え方でございます。

そういう中で、私はまあ二番目に申し上げたいのは、安倍政権は、これまでの日本的な議論を整理をして、日本国の安全を確立しようとしている。その点において、高く評価をするという話なんです。
これはですね、自民党がいい、共産党がいいっていう話でもないし、安倍さんがいい、安倍さんが悪いって話でもないんです。安倍さんが、やっていること、このことを国家国民の立場で考えたとき、必要なことを粛々と進めている。粛々というとまあ上から目線だというご指摘もありましたけれども、とにかく、淡々と進めている、そういうお話でございます。

で、とにかく、日本的な議論は、枝葉から始まって枝葉に終わる傾向がある。日本でしか通用しない議論を日本国民に向けて、言い訳のように繰り返している。そこから生じる問題について、議論が行われるということは、あまりございません。

そういう中でですね、戦後我が国は、アメリカに安全保障面でもたれかかる格好で来ました。これはアメリカに守ってもらっているというのとは違うんですが、やはりもたれかかる格好で来た。でひたすら、経済的発展を追求してきた。それはそれでいいんですけれども、アメリカとの同盟関係を前提とする場合にも、やはり国家としての安全保障に関する枠組みというものは、それなりに、構築してこなければいけなかった。ところがその部分も放置してきた。
だから安倍さんはやはり、これからお話いたしますように、同盟関係を結ぶ以上、集団的自衛権の行使というものについては、きちんと向き合わなければいけないということで、行使を限定的ではありますが、容認したわけであります。
で、これはですね、私どもの立場で言いますと、本当に戦略の基本を言っているんです。
で、古代中国の戦略の書、孫子というのがあります。で、孫子の様々な言葉の中で有名なものの一つ、「巧遅は拙速にしかず」というのがあります。つまり、どんなに時間を変えて丁寧に仕上げたものでも、タイミングを逸してしまったら何の価値もない。孫子はもともと戦争の教科書です。だが今はビジネスの教科書にも使えるようなものです。
もっとも優先しなければいけない目標を迅速に達成をする。当然、雑な部分は残ります。しかし一番大事なのは、国家国民にとっては安全ですから、安全を確保するための枠組みを、素早く作る。その安全な枠組みの中で、時間をかけて、やり残した部分を丁寧に仕上げていく。これが法律制度の議論であります。だから今国会で行われている議論というのは、時間をたっぷりかけてやっている。その意味では、賛成反対を超えて、高く評価を申し上げたいと思っております。
ですからやはり、世界に通用する議論に、その辺は持って行っていただきたい。こう思うわけであります。

で、とにかく、この集団的自衛権についても日本的な議論を整理しようというのが私の立場なんです。で、まあ~マスコミの皆さんには失礼な言い方をして、嫌われているんですが、小川さんは集団的自衛権に賛成ですね、とそこから来るんですね。で賛成ですか反対ですかから来る。何のために賛成するか反対するかという前提が、ないんです!どこに行っても。

国家国民の安全を図るための選択肢は、たとえば防衛力整備ひとつ取っても、選択肢は、現実的なものは二つしかない。片っ方を選べば、これは、集団的自衛権の行使というのは前提条件になる。片っ方を選べば、集団的自衛権なんていう言葉を使わなくても済むようになる、どっちなんですかという話なんです。

だから集団的自衛権の言葉なんか使いたくなえれば同盟関係を解消すればいい。そして独自に防衛力を整備すればいい。ただ、実務家の立場で申し上げますと、今のレベルの安全を独力で実現しようとすれば、やはり大変な負担に耐える覚悟が必要だ。これは防衛大学校の二人の教授が三年前に試算をしたものが本に出ております。これは今のレベルの安全を、日米同盟抜きにやろうとした場合、年間の防衛費はだいたい23兆円ぐらいかかるとなっている。これに色々な問題が加わってくるわけでありますが、それが1年で済むわけじゃないんです。10年、20年とやり続ける中で、防衛費を圧縮できるかどうかの段階に差し掛かる。その間の負担に耐える覚悟が日本国民にあるのか。ありません。

とにかくそのぐらいの負担をね、腹をくくって受け入れるような国民性であれば。昭和30年ぐらいまでにやっているんじゃないですか?日本人はですね頭いいから、とにかく経済的な発展を追求するために日米同盟を使おうとしてきた。そうであれば、もうひとつの選択肢、日米同盟を活用するというのがいいし、これが現実的だということを申し上げたい。

で日米同盟は、5兆円未満の防衛費の、ほぼ枠内で維持されている。でアメリカという国が、世界最高の能力を持っている国である。その国との同盟関係は、やはり世界最高レベルの安全をもたらしてくれている。費用対効果に優れているという話なんです。
そういう中でですね、アメリカの属国みたいだ!ってこれは日本人が悪いんです。これから申し上げますように、アメリカから見て、最も対等に近い唯一の同型国家は日本なんです。ところが日本の議論が、学会も、マスコミも、国会も含めて、一般論で終始している結果、アメリカに負い目を感じるような格好になっている。これが問題なんです。だからとにかく、属国のように見られないで、アメリカからも一目も二目も置かれるような格好で、日本の安全を確保し、平和主義を追求していくという上でも、日米同盟というのは極めて良い選択肢だと思います。
ただその場合、同盟関係を選ぶというのは、相互防衛が前提であります。相互防衛というのは集団的自衛権の行使というのが前提条件になるということなんです。
ただですね、個別的自衛権は、自分の国の安全を、自分の国の軍隊で守る権利、集団的自衛権は自分の国の安全を、同盟国などの軍事力で守る権利、いずれも自分の国の安全が先なんですよ?

「他衛」だとかね、他の国の戦争だとかいうことをねえ、言っていますが、自分の国の安全なくして他の国の戦争に手を貸すなんてことはあり得ない。

で、もう一個、日本の議論が一般論で終始しているのはですね、とにかく、同じ姿形の軍事力を日本があたかも持っているかのような錯覚のもとに、アメリカを助けに行けないのは肩身がせまいなんていう。
しかしねえ納税者の立場で考えてください。とにかく日本の軍事力というものは、ドイツと同じで、戦後再軍備の過程で、連合国に規制をされてきている。だから自立できない構造なんです。だから、国家的な「戦力投射能力」は逆立ちしても出てこないんです。外国を軍事力で席巻しようとしてもできないんです。
だから、日本が同盟関係の中で、アメリカに「あてにしてもらっていいよ」と言うことができるのは、日本列島という戦略的な根拠地を提供し、日本周辺が戦争状態でない場合には、自衛隊で守っているという役割分担なんです。
で、日本列島に何箇所、米軍基地がありますか?公表されてますよ?84箇所。あと、自衛隊が使っていいとされている日米共同使用施設の*(B?)が50箇所。134箇所が日本列島に乗っており、アフリカ南端の喜望峰までの範囲で行動する米軍を支えている。これ会社に例えるとですね、本社機能が置かれているんです。アメリカは他の同盟国は支店か営業所のレベルなんです。

で、日本の代わりをできる国がない。だからアメリカは一貫して日本でナショナリズムが頭をもたげて、日米同盟を解消することに対して、ずっと懸念をしてきている。これは外交文書が、秘密扱い解除されたものを見りゃあ一目瞭然じゃないですか。だからその辺はね、アメリカから見ても、最も対等に近い同盟国であるということが、非対称的ではあるけれども、明らかなんです。だからアメリカ側と話をしていても、それを否定したり反論を受けたことはありません。
それはね我々が、税金の使い途についてきちんと見ているかどうかの話なんです。だからそれをわからずに、私はまあ国会の質問、どこが何をされたかわかりませんが、耳で聞こえてきたのを見て、あれ?と思った。アメリカを攻撃している国が、日本を攻撃していない。日本を攻撃しないと言っている。そのときでも集団的自衛権を行使するのかという質問が聞こえてきました。
これはね一般論ではそういうことが言える。でも税金の使い途として国会銀として責任を持っていれば、アメリカの戦略的根拠地、本社機能が置かれている日本列島を攻撃しないでアメリカを攻撃するということはないんです。だからそういう議論はやっぱり、一回整理していただく、だから時間をかけて議論をする中でやっていただきたいと思っております。

そういう中で、たとえばその日米同盟というのは、世界最高レベルの安全を日本に提供しているということで言えば、抑止力としてこれに勝るものはない。
そういう中で、たとえば東シナ海についても、中国はきわめて抑制的に動いている。南シナ海とは戦略的に差別化しているんです。これは中国の将軍たちが私に言うぐらいです。「気を使っているんですからわかってください」と。だからこれはもう尖閣諸島で領海侵犯している中国の公船、白い船も、一隻の例外もなく、固定武装なし。武装してないんです。すっぽんぽんなんですよ。
だからその辺はね、きちっとわかったほうがいい。

そういう中で、抑止力というと沖縄の海兵隊は抑止力じゃないとかね、いろいろ言うけれども、沖縄の海兵隊地上部隊は、尖閣諸島あるいは台湾海峡有事において、中国が行使しうる現実的なオプション、「斬首戦」というのがあります、首を切り落とす。断頭攻撃、デキャピュテーションというんですが、弾道ミサイルなどで台湾の政治、経済、軍事の中枢を叩いておいて混乱の中で傀儡政権を樹立する。それを半日か1日でやってのける。そしてそこに、国連は常任理事国・中国の拒否権発動もあって介入できない。国際社会が介入できない中で台湾国内で内戦状態が生まれ、既成事実化していく。
それに対する唯一の抑止力は、沖縄海兵隊なんです。
1000人の地上部隊しか一時に投入できませんけれども、これは早い場合には二時間で中国軍とぶつかります。でこれは、この千人とぶつかることは、アメリカ合衆国との全面戦争を意味するから、中国はためらわざるをえない。
ためらわせるから抑止力なんですよ?
だからこれをね、今の議論をきちっと進めていく中で、日本の抑止力というのは格段に向上するものと申し上げていいと思います。

そういう中で、歯止めの問題がまあ常に気にされますが、法律で歯止めをかけるというのは当然日本があっていいんです。そういう中でもうちょっと私は大枠の話をします。これは、歯止めと言えるのは国連憲章であり集団的自衛権であり、自衛隊の戦力投射能力なき軍事力である。これ全部歯止めなんです。国連憲章はですね、とにかく国連憲章の精神と祖語をきたすような行動を米軍がとるときにはやはりそれを抑制させるというような機能があります。それを使う国があるかどうかという話なんです。

集団的自衛権もそうです。たとえばドイツは、西ドイツの時代、再軍備するときに、集団的自衛権が行使されている中でしか、個別的自衛権の行使をしてはならないと封じられた。一貫してその状態。つまりある国が単独で個別的自衛権を行使することに対する歯止めになっているんです。で、これはアメリカも例外ではありません。湾岸危機のとき、アメリカのベーカー国務長官は同盟国などを説得して回った。同盟国全部ノーですよ。値切るんです。で、とにかく半値ぐらいまで値切って協力をする。だからアメリカは単独行動に近い格好で軍事力行使したかったけれども、それの半分以下の軍事力行使しかできていないと言えるぐらいであります。この歯止め。
それから先程来申し上げましたように、海を渡って外国を軍事力で席巻することのできない構造の自衛隊、これも歯止めであります。

だから、後方支援ということがいろいろ議論になりますけれども、できること、できないことがあって、できないことのほうが圧倒的に多いんです、軍事組織としては。それも歯止めの一つであるということをご認識いただきたい。

で、最後に申し上げておきたいのは、日本でしか通用しない議論から生まれてくる法律や制度で自衛隊、海上保安庁、警察の手足を縛らないで欲しい。彼らが向き合わなきゃいけない相手はフリーハンドなんです。

だから「グレーゾーン事態」で、海上保安庁と自衛隊の特殊部隊全部かき集めて投入しても、10人か20人の向こうの特殊部隊に向き合った場合、1時間ぐらいで全員死にます。

その辺をちゃんとわかった上で、議論を進めていただきたい。ありがとうございました。

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いかがでしたでしょうか。大変リアリティのある話で、いま安倍政権が行っている平和安全法制が、私たち国民を守るために必要な政策であることがわかると思います。しかし気になるのが、最後のお話です。

『日本でしか通用しない議論から生まれてくる法律や制度で自衛隊、海上保安庁、警察の手足を縛らないで欲しい。彼らが向き合わなきゃいけない相手はフリーハンドなんです。』

ここで小川氏が「フリーハンド」と言っているのは、おおよそ世界の軍隊の常識的なあり方のことです。
それはつまり、軍隊の行動規範は、警察などと全く違う法体系で規定されているということです。
警察などの場合は、治安を守るために「やっていいこと」だけが決められている。許されていること以外はやってはいけないのです。このような法体系を「ポジティブリスト」といいます。一方、軍隊というのは普通、国を守り、あるいは国際社会で働くにあたって「やってはいけないこと」だけが決まっていて、許されないこと以外はやって良いことになっています。このような法体系を「ネガティブリスト」といいます。
ところが、日本の憲法では9条2項に「陸海空その他の戦力」を一切持たないという文言があるために、自衛隊は国内的には「戦力」ではないということになっていますので、実は自衛隊は警察と同じように「ポジティブリスト」で規定されているのです。
ですから、自衛官が不測の事態に対処しようとするとき、その都度「これはやっていいことに含まれるだろうか?」という判断をせまられるのです。そうして判断がつくよりも前に、相手は何をしてくるかわからないのです。

『「グレーゾーン事態」で、海上保安庁と自衛隊の特殊部隊全部かき集めて投入しても、10人か20人の向こうの特殊部隊に向き合った場合に、1時間ぐらいで(我が国側が)全員死にます』

という小川氏の指摘は、自衛隊が憲法9条2項に縛られていることの影響が深刻に現れた場合を想定した悲観的な予想だと思われます。
この度の平和安全法制で、我が国の安全保障は一定の前進を得ることになります。しかし、万一の危機が発生したときに現場に立つ自衛官の立場や、その身に及ぶ危険について真剣に思いやるならば、憲法9条2項の問題を放置していたら永遠に解決できない問題が残っていることを、私たちは忘れてはならないと思います。