短大に進学した愛梨は、現実に報告された虐待事例をたくさん学び、驚きの連続だった。中には、目を覆いたくなるような凄惨なケースもあり、虐待の末、不幸にも命を落としてしまった子どもたち、自ら命を絶ってしまった子どもたち…。愛梨は悲嘆に打ちのめされ、何度も涙して心の中で手を合わせた。彼らの魂の救済と安寧を祈って…。そして、中2で小5の実の弟と性的関係を持ち、中3で出産した女児の事例を聞き、吐き気を催した。また、自分の交際相手に、自分の娘を差し出す母親の事例も紹介され、これは私の話なんじゃないかと、憂鬱になって落ち込んだ。

 虐待を受けている子どもたちの中には、自分が虐待されていることに気付けない、虐待されていると認識出来ていないケースも多い。なぜなのか。それは≪日常≫だからだ。被虐待児童にとって、虐待を受けている毎日こそが日常だからだ。虐待家庭の中にいる限り、それを外から見ない限り、自分の置かれている状況を認識など出来ない。特に幼少期から小学生低学年くらいまでは…。他所の家庭の生活を垣間見て、自分の家庭とは全く違う家族の形があることを初めて知る。そして自分の家庭を客観視し、その異常性に気付けるまでは…、気付けない。

 愛梨も、母親や継父からの折檻を、虐待だとは認識出来ていなかった。親しい友人もいなかった愛梨は、≪普通≫の一般家庭というものが、どんなものなのか想像すら出来なかった。いや、他所の家庭も自分の家庭と同じだと思っていた。自分たちの母娘関係しか知らないのだから。幼少期の愛梨は、売春という行為の名称も意味も知らなかったが、世の中の母親というものは、全員が色んな男と性行為をしているものだと思っていた。父親の概念すらなかったのだ。それこそが普通。物心ついた頃から、母親は不特定多数の男と性行為をしていた。外に出されていた幼かった愛梨だが、怖くて遠くへは行けず、こっそり土間からドアをちょっとだけ開けて覗いたこともあったし、窓のすぐ外で、何度も物音も声も聞いていた。そもそも乳飲み子だった頃は、母親は、愛梨を押し入れの中に押し込んで売春行為をしていた。切なげな声をあげながら、男の、下で、上で、前から、後ろから、リズミカルに身体を揺さぶられ、のたうちまわる母親。幼かった愛梨には、母親の叫び声が悲鳴に聞こえていた。母は、苦しくて、痛くて、悲鳴を上げているのだと…、男が母を虐めているのだと思っていた。母がなぜそんな行為をしているのか、理解不能だった。何となく、お金の為だということを徐々に察していき、嫌なこと辛いこと苦しいことを我慢しているのだと…。しかし、いつの頃からだろう、母親が継父と再婚し一緒に暮らすようになってからか?母親の悲鳴は、歓喜に震える声だと理解したのは…。性行為とは、男が女を暴力的に虐めるものだと思っていた。女は、愛する(?) 男の為に我慢してそれを受け容れているのだと信じて疑わなかった。女の方がそれを望んでするなんてありえないと思い込んでいた。しかし、ベタベタと継父に甘える母親、自ら継父を性行為に誘う母。愛梨は混乱してしまう。なぜ?ママ、痛くないの?苦しくないの?継父からも、お金を貰えるから我慢しているの?それが愛梨にとっての日常。自分の母親が異常だということに気付けないのだ。しかも…、自分が継父に性的虐待を受けるようになり、そこには当たり前のように暴力が介在していた。性行為の際、男は女を殴るものだと、みんなそうなのだと思い込んでしまうようになる。

 子供に対し、そうそうは怒鳴らない、手もあげない、勿論足蹴にもしない、温かい料理を作ってくれる、優しく微笑んで抱きしめてくれる母親、そんな当たり前の母親を、愛梨は知らない。被虐待児童にとって、愛梨にとって、自分の育った家庭こそ日常であって、その日常こそが≪普通≫なのだ。怒声と悲鳴、泣き喚く声、暴力、血、涙、ガラスが割れる音、それが毎日の日常、それが普通。外の世界を、他所の家庭を覗く機会がない限り、自分の家庭とは違う、そうでない家庭を想起することは不可能だ。愛梨も小学生時代は、どこの家庭も似たり寄ったりで、どこの子もみんな、お家で怒鳴られて殴られているんだと思っていた。

 また、虐待してしまう親の方の調査・研究も紹介されたが、まさしく負の連鎖、自分の子どもを虐待してしまう親は、自身が幼少期から思春期にかけ、何らかの虐待を受けていたケースの何と多いことか。ただ、愛梨の母親がそうだったのかどうかは全くの不明だ。愛梨は、自分の祖父母、つまり母親の両親について何も知らない。愛梨には、優しいはずのお祖父ちゃんもお祖母ちゃんもいなかった。名前はおろか、生きているのか死んでいるのかさえ知らない。母親との生活の中で、祖父母のことが話題に上がったことは1度もない。愛梨は、自分の母親の、出生地も生年月日さえ知らないのだ。

 愛梨の母親は、いったいどんな幼少期、思春期、青年期を過ごし、愛梨を産んだのか。母は、両親から愛されずに育ったのではないか?愛梨はふとそう思った。自分自身が愛されなかったから、娘に対しても愛情が持てなかったのか?愛し方がわからなかったのか?「再現現象」被虐待児童は、意識的、無意志的に関わらず、時にして自分の受けた虐待を再現することがある。もしかしたら、無関心、無視、愛さない、視線を合わせない、口を利かない、放置。そして、殴る、蹴る…。それは、それは、愛梨の母親自身が体験してきたことではなかったのか?愛梨は、背筋に冷たいものが走るのを感じ、怖しくなった。

 そして、実父との関係は?やはり不倫だったのか?そして、一方的に捨てられたのか?恨んで、憎んで、だから、私のことも…。愛梨は自分の生まれ育った家庭環境を客観視し、母親は10代の家出少女だったのではないかと考えた。おそらく、母は私を産んだ時、まだ16,7だったのではないか。今の自分よりも年下だ。愛梨が高校へ進学しようとした時、母親は難色を示した。おそらく、自分が中卒か高校中退か、だったからではないか?授業料は無料で、その他の実費は愛梨が自分で稼ぐこと、部活動など余計なことはせずに、放課後は寄り道せずにまっすぐ帰宅し、家事全般をしっかりこなすこと、などを条件に、母親は渋々承諾した。その時、継父は、なぜか愛梨の高校進学に賛成してくれ、母を懐柔し説得してくれた。どういう魂胆だったのか…。現役女子高校生を犯すというステイタスに興奮していたのかもしれない。吐き気がする…。ただ、愛梨に対する精神的虐待と身体的虐待、継父の性的虐待の黙認、確かに毒母には違いないが、それでもウチの母は、まだマシ方だったのかもしれない、とも感じた。

 世の中には、実子への異常な執着を示す毒母という者が存在する。毒母は、子どもを離さない。「依存」と呼ばれるその症例は、子どもを、何から何まで自分の思い通りにコントロールしなければ気が済まない。着るもの、髪型、飲むもの食べるもの、見るテレビも読む本も、勿論一緒に遊ぶ友達も、子どもに自由も選択の余地も与えない。特に、母親から娘に対する執着と束縛は、粘着質で異常なケースが多い。「同一化」と呼ばれるその現象は、多かれ少なかれ、どんな母と娘の間にも存在するのだが、極端で病的な事例は、娘への愛情が歪な形で現出してしまうのだ。定期的に裸にし、成長過程をチェックする。胸のふくらみ具合、腋毛や陰毛の生え具合を写真に記録する。酷い例では、尿や便のチェックや、肛門や性器を開いて中を確認するという事例も報告されている。娘の生活のありとあらゆることに干渉し、どこで何をしているのか、家の外でも中でも、生活の全てを把握しようとする。男の子との交際など、もっての他だ。娘が中高生に成長し、徐々に自分の意に添わぬ言動をするようになると、半狂乱になって泣き喚き、死ぬ死ぬ、を連発する。学校や会社にまで乗り込み、娘の待遇へのクレームをつけ、大声で喚き散らす。そんな母親を宥める為に、娘は母親の意向に従わざるを得なくなり、会社にいられなくなる、といった事例も多数報告されている。報告件数が最も少ない毒父と息子に関しては、暴力と暴言、金品の要求、息子に就労させて給料を取り上げ、ギャンブルや酒代に使ってしまう例が多く、一方、息子に執着する毒母、娘に執着する毒父の場合、実の親子間での性行為の強要に発展してしまうケースが多い。児童相談所が保護・支援すべきなのは、虐待を受けている子どもたちであるのは言うまでもないが、心に闇を抱えた母親または父親にも、行政の支援の手が必要だ。

 また、特に、毒親の中でも、口に入れるものと、髪を切らせない洗わせないという事例は、宗教団体絡み、また極端なオーガニック信仰によることが多い。いわゆる宗教2世問題だ。宗教虐待に対し及び腰だった行政側だが、やっと重い腰を上げ、積極的に介入していく方針に転換された。まだまだ不十分だが…。

 愛梨の母親は、娘への過干渉というパターンの毒母とは逆のケースだ。娘にまとわりつくのではなく、愛情が持てずに虐待していた。ただ、愛梨の母親の最大の功績は、愛梨を捨てたこと、娘を解放してあげたことだ。愛梨の継父と母は、下手をすれば、娘に客を取らせる、そんなことさえやりかねない夫婦だった。愛梨への虐待は、外部と接触することなく、家庭の中だけで完結していた。だからこそ幸運にも愛梨は売春行為を強要されることはなかったが、逆に不幸にも周りの目に触れず、児童相談所や福祉事務所などに通報されることもなく、保護の対象から漏れてしまったとも言えるのだが…。虐待が明るみに出て、保護に繋がるケースは氷山の一角だ。世の中には、人知れず、誰の目にも触れず、静かに虐待が進行していくケースは山のようにある。今、この瞬間にも…。

 そうか、私は母親に捨てられて、悲しかったけど、でもそれで、私は救われたのかもしれないんだ。ママ、お母さん、どういうつもりだったの?そんなに私のことが嫌いだった?私を捨てた時、どんな気持ちだったの?私が大人になって、やっと捨てられる年齢になって、やれやれって感じで捨てたの?私を捨てて、逆に私から解放されて、清々した?それとも、少しでも、私への愛情があったから、大人になるまで私を捨てずにいてくれたの?それとも、私が救われたのはただの偶然?結果論だったの?やっぱり、ただのストレス発散のオモチャだったから捨てなかったの?家事をやらせるのに都合がよかっただけ?それとも…、ママ!お母さん!ほんの少しだけでいいから、私のこと愛してくれていた?だから、私を放してくれたの?私を自由にしてくれたの?

 今となっては、もう確かめる術もないけれど…。愛梨は授業中、涙を流してしまった。ふと周りを見ると、同じように涙ぐんだりすすり泣いたりしている同級生たちが何人かいた。ただ、愛梨の涙と、彼女たちの涙には、大きな隔たりがあったのだが…。