中2の夏から始まった継父からの性的虐待。その心の傷は、愛梨の精神の奥底に深く深く、「澱(おり)」のように沈殿し堆積していく。拭い去ることのできないそれは、普段は静かに穏やかで透き通っている水面が、水の流れにかき乱されると途端に濁りを巻き上げるように、確かに存在し、愛梨の心は、愛梨の精神は、無意識のうちに着実に蝕まれていく。

 愛梨は、信治に全てを語ったわけではなかった。曖昧に言葉を濁していた。信治には言えなかった性的虐待。中2、中3、高1と断続的に続く性的虐待。高1の秋、愛梨が16歳になってしばらくの時だ。同級生の男の子と無理矢理初体験をしたが、その後、暴力も絡み、継父からの性的虐待はずっと続いていた。そして「ホントの性行為までは絶対にしないという約束」は、愛梨が高1の3学期、遂に破られることになる。虐待と言うより性的暴行。愛梨は全裸にされ、何度も何度も犯され、ありとあらゆる行為を強要された…。暴力とセックス…。性的暴行、信治には言えなかった…。約4年に渡るその行為、特に後半の2年ほどは、完全な性行為の強要、しかも決して正常とは言えないアブノーマルな行為。愛梨は暴力に支配され抵抗できなかった。それは、肉体だけではなく、精神の支配…、洗脳…。愛梨は、恐怖と痛みから逃れる為に、一刻も早く、その時が終わることを祈りながら、継父の要求に従順になるしかなかった。自分が、とてつもなく不潔で穢れた存在だと感じていた。

 

 そもそも恋愛にも性愛にも意識が向かない処に、追い打ちをかけられるように、性的なことは、汚いもの、不潔なもの、不快なもの、そして怖いものだという感覚が強くなっていく。性的なものに対する嫌悪、それは思春期の女子の症例としては、決して珍しいものではない。そういう女子は一定数存在する。数は少ないが男子にも存在する。しかし愛梨のそれは、継父との暴力的で異常な実体験を経て、より具体的で体感的で、現実感のある嫌悪感になってしまう。愛梨は、愛のある性行為はおろか、暴力を伴わないそれは、同級生と無理矢理した、あの1回だけなのだ。愛梨の中で、セックスと暴力は強く結び付いてしまう。物理的な、どうしようもない恐怖を伴う、吐き気を催す不快感だった。

 それでも16歳、17歳の健康な女子高校生だ。ドラマや小説の中の、胸がキュンとするような、淡い、甘酸っぱい恋心、プラトニックな恋愛に憧れる気持ちも少しは芽生え始める。

 しかし、愛梨は委縮してしまう。自分には、継父に弄ばれ穢された自分は、そんな世界にいられるはずがない。私みたいな、穢れた、禍々しい存在が、私なんかが入ってはいけない、入ることは出来ない世界。私には許されない世界。生涯十字架を背負い続ける罪人のような感覚。こんな自分を愛してくれるような男性は一生現れない。いや、こんな穢れた自分を大切に思ってくれる人間なんていない、私はいてもいなくてもどうでもいい人間なんだという感覚。自分が誰かに大切にされる、愛される、自分には、そんな資格なんかないと感じてしまう。私は生きていていいの?私に生きる資格なんてあるの?今夜、私がいなくなったって、悲しんでくれる人なんていない。私が死んでも誰も困らない。誰も気付きもしないんじゃないか。生きていたいなんて思わない…。だってこの先、楽しいことなんてあるの?嬉しいことなんて本当にあるの?さよならしたい…、消え去りたい…、すべてから、この世から…。自暴自棄と自死願望…、いっそのこと死んじゃう?私が死ねば、継父への復讐になるかな?ほら、お継父さん、もうこのオモチャで遊べなくなるよ?残念だねぇ…、ざまぁみろ!そうだ、死んじゃおうか…。

 

 性的なものに対する嫌悪は、自分自身に対する嫌悪でもあった。穢れた自分、汚れた私…。私は汚い…。穢れている、汚れている。恋愛なんて私には関係のない世界だと感じてしまう。男の子に恋愛感情を持てない自分は、何なのか、私はおかしいのではないか。イケメンと言われる同級生や先輩の男子、なぜカッコイイと言われる男の子を見ても、周りの普通の女の子のように、心がときめかないのだろう。かといって、自分がLGBTだとも全く思えないし、アセクシャル(異性・同性に関わらず他人に恋愛感情も性欲も持たない志向)だとも思えない。複数の男子に何度も告白されたが、それを嬉しいとも照れ臭いとも、何も感じない、心が動かない。告白してきた男子を、意識することもない。男子は、男の子たちは、自分に何を求めているのだろう。

 

 サッカー部のエースだった男の子。明日の土曜日、他校がウチの学校に試合に来る、見に来てくれないかと言われた。

『なんで?』

『なんでって、他の女子もたくさん来るし、他所の高校の子も見に来るよ。』

『いや、私、別にサッカーに興味ないし。』

『え~?そういうことじゃなくてさ。愛梨に見てほしいんだよ、俺が試合してるとこ。』

『だからなんで?』

『え?え~と、明日、何か用があるの?いいじゃん、来てよ。』

この人は何を言っているの?私の気を引こうとしているの?私と付き合いたいの?私とセックスしたいの?

『明日は食料品の買い出しに行く日だから無理!』

取り付く島もない。この男子は、自信があったのだろう。自分がサッカーの試合で活躍している姿を見せれば、カッコよくて愛梨が自分になびくと。この男子に悪気はない。多少自信過剰な処はあるが、健全な普通の男子高校生だ。気になる女の子の気を引こうと、色々考えているに過ぎない。気になる、好きになったのかもしれない。愛梨の何を見て?整った顔立ちときめ細かいな肌、涼しげな目元と可愛らしい唇、スレンダーな身体。要するに見た目だけの魅力だ。この男子は、愛梨の内面など見ていない。1人だけ年季の入った制服を着て、ニコリともしない。何を考えているのかわからない、憂鬱そうな不機嫌な顔。男子に対して露骨に眉間に皺を寄せる愛梨。他の女子とは明らかに違うそのミステリアスな雰囲気に、興味をそそられているだけだ。ただ、高校生男子のこと、それを責めるのも酷だが…。

 それに、最初から、性行為が目的、それだけが目的。いや、それは言い過ぎだ。勿論、最終的にそれを望んでいないわけではないし、そういうタイプの男も確かに存在するのだが、彼は彼なりに、愛梨のことが『好き』なのだ。そこに純粋な想いが全くないわけではない。

 恋心。中高生女子の一部には、男子はみんな女子とやりたくてやりたくてどうしようもないんでしょ、と思い込んでいる者もいるが、それは半面正しく半面正しくない。思春期男子の心理もそんなに単純ではない。この年代の男子は、好きな女の子に対する恋心と、女とセックスしたいという性欲が、一致しないことが多々あるのだ。彩人が、大好きなはずの愛梨を、性的な目で見られなかったのもそれだ。スマホのエロ動画を見ながら自慰行為をしている最中に、ふと好きな女の子のことが頭を過ぎり、萎えてしまう。そんな経験をした男子はいくらでもいるだろう。男子高校生あるあるだ。好きな子と性欲は必ずしも一致しない。自分が好きな大切にしたい女の子を汚すような気がして、後ろめたく感じてしまう感覚から起きる現象だ。逆に、そういう意味では、別に恋しくないけれど、顔や身体が官能的で、この子とやりたいという邪な欲情を抱いてしまう、性欲の対象としての女子が、精神的に愛おしい子とは、別に存在することもある。まぁ実のところ、女子にもそういう感覚が、全くないわけではないのだが…。好きな子とちゃんとカップルになり、交際が深まり、少しずつ身体的接触を経て、やっと恋愛と性欲が一致してくる。特に、まだ女子との性的な接触の経験がない男子ほど、この恋愛と性欲の乖離という傾向は顕著だ。信治の高校時代のような、最初から恋心と性欲が交錯していくケースは逆にレアだろう。そのあたりの、中高生男子の微妙な心理を、女子は勘違いしていることが多い。この当時、まだ高校生の愛梨には、そんなことはわからないのだが。

 ただ、このサッカー部男子の恋心と、愛梨の日常、身体的、心理的、性的虐待を受け、何かの拍子に自ら命を絶ってしまいかねない、そんな危険な状態の愛梨では、あまりにも精神状態のステージに隔たりがあり過ぎた。

 

あなたは私の何を知っているっていうの?私が昨日、継父に何をされたか教えてあげようか、気持ち悪くて吐いちゃうかもよ。それでも私のこと好きって言える?それとも、俺にも同じことさせてって言うの?バカバカしい、近寄ってこないで!

 

 精神的ステージの隔たり、それは、この男子に限ったことではなかったが…。

「付き合う」て何?何をするの?どうすることなの?結局エッチなの?私としたいから付き合いたいの?そもそも「好き」て何?私のこと「好き」てどういうこと?私の何が、どこが好きなの?好きだからしたいの?継父は私のことが好きなの?だから私としてるの?母のお客は、母のことが好きだからエッチしてたの?そうじないんでしょ?好きじゃなくてもセックスはしたいんでしょ?愛梨は、嫌悪と恐怖に呪縛されてしまう。幼少期の母の売春、中2から続く継父の性的虐待、そして暴行。男はみんな、全員、女を、自分を、性欲を満たす対象としてしか見ていない、愛梨はそう思い込んでいた。優しそうな顔をして微笑んでくる男たち、でもその裏の顔は?ひと皮剥けば、女に言うことを聞かせることばっかり考えているんでしょ?女を殴って、力尽くでセックスを強要するんでしょ?

 愛梨の周りには、愛梨を温かい目で見守り心配している教師も存在していたし、性欲から離れた純粋な恋心を抱いている男子も、そして、危なっかしい愛梨を、そっと見守り気にかけ、気遣っている女子も、確かに存在していたはずなのに、愛梨は気付けない。性愛も恋愛も友人関係も、愛梨には理解不能で受け容れ難いものだった。

 

 継父の性的暴行が止んだのは、高3の連休以降、愛梨が実父からの援助を受け、進学することを決意し、学校で勉強する為に家を留守にすることが多くなってからだ。その分、当然家事は疎かになっていったが、母親は不機嫌に怒鳴り散らしながらも、徐々に愛梨から家事を引き継いでくれていた。もうすぐ出て行く娘、さすがに自分が動かなければ、家の中は回らない。

 お金は、やはり愛梨に生きる力を与えてくれた。私は何の為に生きているの?この家を出る為だ。それが愛梨の掴んだ解答だった。この家を出るという生きる目的。愛梨が自死を免れたのは、実父の援助で、生きる目標が出来たことが大きかっただろう。休日に出掛けることが多くなり、夕方も帰りが遅い愛梨に対し、『男が出来たのか』と詰問する継父。愛梨の身体に手を伸ばそうとする継父。しかし三百万もの大金を手に入れた愛梨は、継父を睨み返し、何なら今この場で出て行ってやろうかという、開き直りのような自信が生まれ、毅然と拒絶する態度を示すことが出来るようになっていた。

 家を出て1人になることが優先順位の1位。どの方向へ進学するのか、地理的にも専攻的にも、そんなことは二の次だった。学校で進学ガイドをパラパラめくっていると、偶然、児童心理学という学問があることを知った。愛梨は、この時点では、まだ自分の置かれている境遇をはっきりとは理解も認識も出来ていない。それでも何か心に引っかかるものを感じた。興味を引かれた。児童相談所とは何なのか、全く知らない。児童養護施設で働く自分の姿も、それはまだとても想像できない。しかし、児童心理学という学問を学んでみたいと強く思った。それは、愛梨にとって、自分はどうしたいのか、自分がやりたいこと、自分の希望、生れて初めて持った自分の意志、欲求だった。

 進路指導の面談で、このことを伝えると、担当教諭は、一瞬、驚いたような表情を見せた。この四十代の男性教諭が、愛梨の生育歴をどの程度把握していたのかは不明だが、愛梨の家庭が貧困でまともではないこと、愛梨の親は、話し合いにも説得にも全く応じないこと、遠足にも修学旅行にも行っていないこと。これらの情報は、中学校からの申し送りもあり、教師間で共有されていた。高校でも修学旅行は勿論、遠足にも、体育祭にも文化祭にも、3年間1度も参加しなかった愛梨。そもそも愛梨が進学希望だということにも驚いたが、お金のことは何とかなるという。元々成績は悪くない愛梨だが、本人の希望が叶わず、家庭の事情で進学を断念する生徒も時にはいる。この教諭は、愛梨もそうなるだろうと思っていた。勿体ない気はするが、それは仕方のないことだ。ところが、本人の希望通り進学出来るのなら、それは喜ばしいことだ。そして、専攻が児童心理系…。教諭は、愛梨の顔をマジマジと見つめると、

『そうか、うん、うん…。』

何度も力強く頷く。

『それは、いいかもしれない、うん、いいと思う。愛梨、しっかり勉強しろ!

そして、お前みたいな子どもたちを、お前が支えろ。頑張れ!』

教諭は賛成してくれた。

『はい。』

愛梨は、この男性教諭の内面を推し量ることは出来ない。正直、なんでこの先生はこんなに熱く語っているのか、よくわからなかったが、色々学校を紹介してもらえた。