中学生になり、相変わらず下ばかり向いていた愛梨だったが、この頃から、身長もスラっと伸び始め、髪も長くなっていった。そして愛梨の容姿は周りで噂になり始める。同じ小学校の出身者は、修学旅行にも卒業式にも来なかった愛梨のことを、暗くて滅多に笑わない愛梨のキャラも、充分理解していたし、家庭の事情もそれとなく察している。そもそも小さな小学校で、愛梨とのつきあいも長く、虐められるようなこともなかった。この子はこういう子だから、と、ある意味温かく、ある意味無関心に、距離を持って接し、変に絡むこともなかったのだが、中学校で初めて愛梨と出会った子たちには、そんなことはわからない。顔は可愛いのに一風変わり者の愛梨は、周りに興味を持たれるようになる。

 

『あの子、地味だけど、顔は結構可愛いよね。』

『愛梨ちゃんでしょ?可愛い。メッチャ可愛い!暗いけど。』

『あ~、お古の制服着てる子ね?全然イケてないけど、確かに顔は可愛い。』

『なんでいつも下ばっかり向いてるんだろうね。全然、笑わないし喋んないし、あんなに可愛いのに。ほとんど目も合わせてくれないよ。』

『いつも1人でいる子でしょ?可愛いのにボッチの子、不思議ちゃん。友だちいないんだよね。』

『なんか家が貧乏らしいよ。』

『そうなの?』

『でもあの子、結構勉強出来るよ。意外。』

 

周りの女子たちが噂を始め、当然、男子たちの間でも評判になる。教室で、愛梨が1人でいると、声を掛けてくる女子も男子も増えていった。別の小学校の出身者ばかりだったが…。そんな時、愛梨は決まって困惑の表情を浮かべる。不快感を示すというわけではなく、かといって愛想笑いをするわけでもなく、ただ、話しかけられてもどうしたらいいのかわからず、困ってしまうという視線を一瞬相手に向け、そして目を伏せてしまう。一言二言、口は開くのだが、会話は続かない。『顔は可愛いけど変わった子』それが愛梨に貼られたレッテルだった。それでも当たって砕けろという男子は何人かいて、愛梨に告白して付き合おう、いや、いきなりそこまでいかなくても、とにかく友達になろうとする、これは女子にもいたのだが、愛梨は頑なに心を開かなかった。

 愛梨は恋をしたことがない。自然と耳に入ってくる周りの女子たちの恋の話。コクッたのコクられたの、そんな話は山ほどあり、誰と誰が付き合ってるだの、別れただの、女子中学生の恋の噂話は尽きない。

『彼氏欲し~い!』

『愛梨ちゃんは、好きな子いるの?』

『え~、いないよ、そんなの…。』

『いいんだよ、愛梨は。その気になれば、すぐ出来るから。』

『そうだよねぇ、いいなぁ愛梨は可愛くて。』

『愛梨なんて、自分の方からいったら、男子はみんなOKするでしょ!』

時折、たまたま、そんな話に加わることもあったが、愛梨の方からは、ほぼ喋らない。質問されたら言葉少なに答えるだけだった。しかもほぼ否定。周りの女子が、男の子の話や、お洒落やコスメや、ファッションの話で盛り上がっていても、愛梨は全くついていけない、知識も、そして何より意識も。周りの女の子たちを、不思議な気持ちで眺めていることしか出来なかった。そもそも愛梨は、誰か特定の男の子に惹かれたことがない。気になって目で追ってしまうとか、話しかけられてドキッとしただとか、そんな経験は1度もなく。そんなことより、今日の夕飯の心配をしていた。母と継父に怒鳴られないように、また殴られないように、手際よく、何をどうすればいいのか、食事の支度や掃除、お風呂の準備や洗濯ものの段取りも、上手に手早くやらないとまた殴られる。愛梨にとって、そっちの方がずっと一大事だった。

 そして、中2から始まった継父の性的虐待…。元々暗い顔で下ばかり向いていた愛梨だったが、男子に対し、嫌悪感と警戒心が強くなってしまう。中学に入り、多くの知らない子たちの中に放り出された愛梨は、先生や友人に話しかけられると、困惑し、自信なさげにオドオドして目を泳がせてばかりいたが、家庭で、継父の性的虐待が始まってからは、男子に話しかけられると、身を固くし視線を合わせない、露骨に顔をしかめ、殻に閉じこもるようになってしまった。普段から不機嫌で憂鬱そうな顔、益々しかめ面ばかりしている子になってしまう。

 ニコリともしないが、顔立ちが整っている愛梨は、当然一部の男子には人気があった。しかし、周りの女子からは、不思議と反感も嫉妬もやっかみも買わなかった。そもそも愛梨は暗くて目立たず、お古の制服を着て、イケてないタイプだったし、貧困家庭の子である愛梨は、イケている同級生女子からは、自分たちと同じステージに立っていると認識されていなかったのかもしれない。自分が可愛い事を鼻にかけることなど全くなかったし、そもそも男子を毛嫌いし、全く寄せ付けなかったからだろう。ただ、逆に愛梨のことを怖がり、近付きたがらない女子はたくさんいたが…。

 男子に、媚びたり可愛い子ぶったり、思わせ振りな態度を取ったり、そういう、女子から攻撃の対象にされるような、いわゆる『あざと女子』からは、愛梨は正反対のタイプだった。また、モテる中学生女子の特徴として、顔の可愛さに加え、キャラの可愛さが重要だ。元気に明るく笑い、飾らず、ちょっと天然ボケ気味の中学生女子は、モテる。こちらも愛梨のキャラからは、最も遠い存在だ。中学時代、愛梨のモテる要素は、整った顔立ちだけ。実際、一部のマニアックな男子のファンはいたが、キャラが全く可愛くない愛梨が、そんなにモテるはずはなかった、男子にも女子にも。

 

 1度だけ、愛梨は、同級生のヤンキー系の女子の集団に囲まれたことがある。顔は可愛いのに貧困家庭で暗い子。ある種の人間たちにとって、愛梨は格好の虐めのターゲットになるタイプだった。中3に上がる時にクラス替えがあり、初めて同じクラスになった、問題児系のリーダー格の女子。愛梨のことが気に入らない、ムカつく。何が?なぜ?話しかけても反応の薄い愛梨に、無視されているような感覚を味わったのかもしれない。いや、それよりも、この女子は、愛梨に自分と同じ匂いを嗅ぎ取ったのかもしれない。それが、文字通り鼻に付いたのかもしれない。家庭内不和、愛情不足と放置。

 放課後、誰もいない理科室に、愛梨は呼び出された。4、5名の女子に取り囲まれ、態度が悪いことを問い詰められ、臭いと責められ、ちょっと顔が可愛いからって調子にのるな!貧乏人が!となじられた。痛い目をみたいのか!と脅された。謝罪を要求され、金品を要求された。恐かった?いや、愛梨は、自分が何を言われているのか、自分が今置かれている状況を、認識も把握も出来ない。母親と継父から日常的に虐待を受けている愛梨は、同級生女子に絡まれた程度で、恐さなど感じない。痛い目なら毎日みてるし…。ただ、愛梨は焦っていた。恐い子たちに囲まれて絡まれて、凄まれて脅されて?いや、グズグズしていて、帰る時間が遅くなったら…。愛梨は、そっちが恐くなった。こんなことに時間を取られている暇はないんだよ!この面倒臭い連中をどうする?早く帰らなきゃ、やばい…、家に帰って殴られたら、お前のせいだ!愛梨は無言のまま、リーダーの女子に険しい視線を向け、睨みつける。怯えてメソメソ泣き出し、赦しを乞い、震えながら必死に謝る、そんな愛梨の姿を予想していたリーダーは、面喰らう。全く予想外の愛梨の反応。愛梨が、同級生の顔を、目を、真正面からしっかり見据えたのは、この時が初めてだったかもしれない。しかも、愛梨の目。リーダーは気圧され、一瞬でビビって恐くなった。何をしでかすかわからない、狂気…。失うものなど何もない、恐いものなどない、そんな内面を雄弁に物語る愛梨の瞳。今、この場で、限度を越えた暴行を加え、相手が大怪我をしようが自分が怪我をしようが、それで問題に、それこそ警察沙汰になったとしても、そんなことは知ったこっちゃない、私の邪魔をするな!私に関わるな!そんな強い意志と覚悟…。愛梨の整った顔立ちが、逆に迫力に拍車をかけていた。この、リーダーの女子が、愛梨の瞳からそんな内面を感じ取ることが出来たのは、リーダー自身が、家庭に問題を、心に闇を抱える少女だったからだろう。こいつは、危ない奴だ、危険だ。大事になるかもしれない。変にちょっかいを出さない方がいい。リーダーはそう思った。そして、愛梨は、黙ってその場を立ち去った。

 

 孤立。休み時間も給食の時間も、ポツンと1人でいる愛梨を、中学の教諭は、当然心配していた。気遣い、何かと声をかけ、気を配っていた。理科の班別の実験や社会のグループワーク、愛梨はほとんど口を開かず、ただ、そこにいた。不登校というわけではなく、通常授業の日は休まずに登校し、授業も真面目に受け、課題も遅れずに必ず提出し、成績も上位だった。実技科目はどれも苦手だったが…。しかし、勉強を離れた、遠足も運動会も、合唱コンクールなどの、いわゆる学校行事には、来ない、悉く欠席していた。学校側も、愛梨の母親と継父との交渉は、何を言っても何をしても無駄だと早々に手を引いていた。しかし、担任教諭は、クラスの同級生女子に、愛梨に声をかけてあげるよう促し、輪の中に入れさせようとするのだが、今ひとつ、うまくいかない。

 

『なぁ、楓月~。愛梨のことなんだけどな、楓月は愛梨と仲がいいんだろ?』

『えぇ~?別に…、特に仲いいわけじゃないですよ。』

『そう…か…?』

『はぁ、小学校の時、何度か席が隣になったくらいで…。』

『う~ん、あのな、楓月、愛梨は虐められたりしてないか?』

この、愛梨と同じ小学校出身の同級生女子は、思わず小さく吹き出し、マジマジと担任を見つめる。この先生は、何もわかっちゃいない。

『愛梨がぁ?虐められる?んなわけ…、あいつはそんなタマじゃないでしょ。』

『そうなのか?』

楓月は思わず苦笑し、首も手も両方、横に振る。

『ないない!逆に愛梨を怖がってる子はいるんじゃないですか?』

『う~ん、何かな、悩みっていうか、困ったこととか、楓月に相談とか話とか、してきたことないか?』

『?そんなこと、あるわけないじゃないですか。だって愛梨ですよ?』

『う~ん、もうちょっとこう…、何て言うのかなぁ、困ってることとか、それとなく聞いてみてくれないかなぁ。全然、周りと打ち解けないっていうか、孤立してるだろ?』

楓月は、しょうがないなぁという顔で、ちょっと溜息をつき、でも、

『せんせぇ~、愛梨はさぁ、孤立してるっちゃぁ、確かに孤立してるんだけどさぁ…、本人が望んで孤立してるんだよ?』

『そんなことないだろ…。』

『いやぁ、そうなんだって…。誘うと…、声かけると、困ったような、嫌な顔するもん。愛梨はさ、友だちなんか欲しくないんだよ。普段から話しかけんなオーラ全開だもん。小学校の頃からずっとそうだもん。ほっといてほしいんだからさぁ、ほっといた方が愛梨の為なんじゃないの?別に誰かに意地悪するわけじゃないしさ、誰も困らないじゃん。』

『いや、そんなわけないだろ。ホントはみんなと仲良くしたいんじゃないのか?きっかけとか、うまく掴めなくて…、いいのか?それで…。』

『う~ん、違うんだよなぁ、先生…。そりゃ、心の奥の奥の、ず~っと奥ではさぁ、友だちが欲しいって気持ちもあるのかもしれないけどさぁ、でもそれは、今じゃない…気がする。今は、愛梨には友だちなんて必要ないんだと思う。私、愛梨の本心、わかっているつもりなんだけどなぁ。』

『愛梨の本心って?』

『だからぁ、愛梨は独りでいたいんだよ、誰とも仲良くなりたくないの!家のこととかさ、色々あるじゃん。知られたくないんだよ、色々…。別にウチらもさぁ、愛梨のことハブいたりはしないけどさ、関わりは必要最低限でいいんじゃないのかなぁ。優しくしてあげようなんて、愛梨からしたら大きなお世話なんだよ。こっちから近付いていって、よけいなこと言ったり聞いたりしたらさぁ、苦しめるだけだと思うよ。いつか、あいつがそう望んだ時にさぁ、こっちが拒絶しないで、ちゃんと応えてあげれば、それでいいんじゃないかなぁ。少なくとも私はそうしようと思ってるよ。まぁ、そんな時がホントに来るかどうか知らんけど…。だからさぁ、せんせぇ~、ほっといた方がいいって!』

『…、楓月…、お前、大人だな…。』

 

愛梨は、自分は誰にも愛されていない、必要とされていない、理解されていない、理解してほしいとも思わない、そう思い込んでいた。愛梨の周りには、それが的確かどうか、温かいかどうかはともかく、愛梨のことを気遣っている人間も、確かに存在していた。でも、愛梨はそれには気付くことは出来ず、心を開けなかった。