「まだ一緒に暮らす前、3人で暮らす前は、継父が家に来ると、母は機嫌が良かったんですけど、一緒に暮らすようになってからは、そうですねぇ…。何かとトラブルも多かった気がします。喧嘩して怒鳴りあうことも、しょっちゅうでしたし、とばっちりで私も怒鳴られて…。でも、すぐ仲直りしてベタベタいちゃいちゃして…。私は蚊帳の外でしたけどね。

 そうかと思えば、継父が私をからかって、訳の分からない質問をしてきて、『どういうこと?』て、小首をかしげて見返すと、私、まだ小4くらいですよ?『姿を作るんじゃない!そんなことは娼婦のすることだ!』てまた母に怒鳴られて…。自分が娼婦のくせにって…。はは!継父がどこで何をしているのか、全くわかりませんでしたけど、それでも帰ってくると、私にもお土産にお菓子を買ってきてくれたこともありました。ただ、まぁ…夜になって、2人の、その、行為の間、私、外に出されるんですけど、あれは辛かったな…。暗くて怖くて、冬は寒かったし…。ただ、今考えると、私が外に出されてたのは、ただ単に部屋が狭かったからだと思います。四畳半ひと間で、そこに冷蔵庫や母の衣装ケースや、小さいながらもテレビもありましたし…。母の、その、お客と行為の時に、私が外に出されるのは、お客の方が、私がいると抵抗があるっていうのはわかるんですけど…。私も、その行為が何なのか、何となく理解できる年齢になってましたけど…。でも、母と継父の夫婦の行為は…。私の目の前でそういうことするのは恥ずかしいとか、思春期を迎えようとする娘に、そういう行為を見せないように、ということじゃなくて。もう少し部屋が広かったら、私の目の前でも平気でしてたと思います、あの2人…。深夜に突然始まったり、早朝の寝起きに始まったりすることもあって、その度に私は蹴られて合図されて…。

 そうこうしているうちに、しばらくして、弟が生まれたんです。私、小5か小6か、だったと思います。そこからですね、色々とおかしくなっていったのは…。あ、それまでだって、充分変ですけど…。」

愛梨は、自嘲するように呟いた。

「弟が生まれるタイミングで、4人で引っ越しました。台所と二部屋あるアパートで、今度はトイレもお風呂もあって、私、大喜びでした。でも…、母の愛情は、全て弟に注がれるようになったんです。まぁ、元々、母は私には興味がなく、無関心、ほったらかしというか、わざと意地悪して虐めてストレス発散してた感じだったんで、そもそも私に愛情なんてあったのかって感じですけど…。普通だったら、生れた赤ちゃんを私に見せて『ほら可愛いでしょ?弟だよ、お姉ちゃんになったんだよ。』とか言いそうなものですよね。でも一切なかったですね、そういうの…。継父も、弟、息子のことは可愛かったらしく、2人で猫撫で声を出して可愛がっていました。その家族の中に、私はいないんです。私は無視されて…、私は空気?部外者?弟が生まれて、私は邪魔者…。いえ、掃除や洗濯や食事の準備や、家の中のことをどんどん押し付けられるようになって、お父さんとお母さんと息子の3人家族、プラス、小さい家政婦の女の子、という感じでしたね。3人でどこかに遊びに、食事とか、公園とか商業施設とか遊園地?どこへ行ってたのか知りませんけど、楽しそうに出掛けていました。私は、1度も一緒に連れて行った貰ったことはなかったです。いつも独りでお留守番、というか溜まっている家事を片付けていました。私には居場所がなかったです。弟のことは、特に可愛いと思ったこともありませんけど、だからといって、嫉妬や憎しみもなかったですね。無関心というか、自分とは別世界の子、知らない子、という感じだったんです。押し付けられて面倒は見ていましたけど…。弟の方も、特に私になついてたとか甘えてきたとかの記憶も、あんまりないんですよね、不思議なことに…。逆に手を焼いた記憶もあんまりないですけど…。

 それでも何とか中学を出て、そうそう、店長、今、高校の授業料って無料なの知ってます?高校無償化ってやつです。私、勉強は、嫌いな方じゃなかったんで、地元の公立高校に進むことが出来ました。勉強や読書って、他人と関わらずに一人の世界にいられますから、わりと好きだったんです。だから、テストの点数も悪くなかったんですよ?そうは見えないかもしれませんけど。」

「そんなことないよ!愛梨ちゃんって、お利口さんだな、て、俺よく感じる事あるよ。仕事を覚えるの早いし、テキパキ動けて…。」

「またまた!そんなこと言って…。まぁ授業料は無料なんですけど、ただ、制服やジャージ、体操服、体育館シューズとか、実費でかかるものも結構あるんですけど、市の、貧困者支援の仕組みがあって、卒業生が寄付してくれたやつがあるんですよ。手続きして、貰えるものは、端から、鞄から何から、全部無料で貰いました。あ、ついでに、中学の制服もそれで貰ったんですけどね。でもその年、ウチの高校でそれを利用したのは、多分、私1人で、入学式の日、母も継父も当然のように来ませんでしたけど。みんな新品のピカピカの制服で眩しかった。私だけ年季が入ったというか、お古の制服で…。でも、小さい頃からずっとそんな感じだったんで、中学の時も私1人がお古の制服でしたし、慣れちゃったというか、あんまり、それを辛いとも悲しいとも、恥ずかしいとも、思わなかった気がします。もう神経が、感覚が麻痺していたのかもしれません。

 同級生たちはみんな、男の子も女の子も、希望に満ち溢れた、みたいな、幸せいっぱいの顔で、ホントに眩しかった。高校生活への憧れと期待、ですよね?友達と語り合ったり、恋をしたり、部活に夢中になったり、勉強は?はは!楽しい楽しい甘酸っぱい青春の高校生活のスタート。期待と夢に胸を膨らませ、て、やつですよね。私もその中の一人のはずなのに、何か自分だけ別世界にいるような、周りの風景をフィルター越しに見ているような…、変な感覚。ぼんやりとして現実感がない。入学式の当日、私は本当に卒業までこの学校に通えるんだろうかって。どうせ今まで通り、高校生になったからって、友達なんて出来ないって思っていましたし。まぁ実際、ほぼほぼそんな感じで、学校での表面的なつきあいだけで、休日に一緒にどこか遊びに行くような、悩みを打ち明けるような、親しい友達なんて出来ませんでしたし…、学校帰りに友達とマックに行くなんて1度もしたことがありませんでしたし…。」

愛梨はクスクスと笑い出す。

「そうそう店長、それこそマックだったかどうか、もう忘れましたけど、短大に入って、私、初めてハンバーガーなるものを食べたんです。ついでにフライドポテトも。何かの時に友達に連れられて、初めて行きました。衝撃でした。世の中にはこんなに美味しいものがあるんだって。ハンバーガーって言っても、何とかバーガーとか色々あるじゃないですか。私、全然知らなくて、メニューを見てもよくわからなくて…。でも友達に訊くのも恥ずかしいし、注文の仕方もわからないし、で、友達が注文しているのを後ろから必死に観察して、真似して、何とかセット?コーラとかサラダとか、あ、私もそれでって。1番安いやつを頼みました。『こちらでお召し上がりですか?』て言われて、私、意味がわからなくて…。『はい?何ですか?』て、素頓狂な声で訊き返して、友達が『いいの!いいの!』て、止めてくれて…。」

愛梨は苦笑する。

「それにね、店長、私、短大に入るまで、カラオケにも行ったことなかったんですよ。短大の友達と初めて行った時、さすがに初めてなんて言えなくて、何度か行ったことがある体を装ってましたけど、人前で歌を歌うなんて、小学校の低学年以来、そんなことしたことなくて…、私、メチャメチャ下手だから、いいのいいのって、ごまかして、聞く専門に徹しました。巷で、今どきの若い子たちの間で、どんな曲が流行っているのか、私、何も知らなくて…。友達が歌っている曲も知らない曲だらけだったんですけど、でも時々、あれ?この曲、どっかで聞いたことあるかもって思うのも少しあって…。とっても楽しかったです。普通の女の子になれた気がして…。」

愛梨は、色々思い出してしまったらしく、またクスクス笑い始めた。

「ホント!恥ずかしいんですけど、短大に入学したての頃、友だちに『愛梨ちゃん、肌きれいねぇ。』て褒められて、『洗顔フォーム何使ってるの?』て訊かれて、私、意味がわからなくて、『え?せっけん。』て答えたら大爆笑されました。びっくりしてましたけどね、その子。最初の数ヵ月間、実家からパクってきたシャンプーとせっけんを本当に使ってたんです。その子に、色々教えてもらいました。変な子って思われたと思いますけど。普通の女の子みたいに、お肌のお手入れや、メイクや洋服や…。感謝感謝です。」

愛梨はひとしきり笑った。

「すいません。話があっちこっち飛んで…。高校に入って、バイトを始めました。新聞配達です。自転車だったから、大した部数ではないんですけど、配達前の、チラシの折り込みの仕事もして…、よかったです。大変でしたけど、でも、そのおかげで、私、自転車に乗れるようになったんですよ。新聞屋さんの自転車を借りて、必死に練習しました。人生で初めて自転車に跨りました。何度も転んで、打ち身と切り傷で大変なことになりましたけど…。でも何とか…。朝早いので、学校にも家事にも影響ありませんでしたし、他人と関わらない仕事だったから、気が楽だったですし、向いていたと思います。

 高校って、こまごまかかるんですよね。やっぱり1番困ったのはスマホです。正直、私には必要のない物でしたし、友達なんていなかったから、LINEのやり取りなんて、何かの事務連絡以外、全くしたことなかったですけど…。店長、知ってます?今どきの高校って、学校行事やクラスの予定とか、定期試験の範囲表とか、全部LINEで一斉送信されるんですよ?だからスマホなりタブレットなり、必須なんです。参ったなぁ、でした。まだ15歳でしたから、ショップには継父に一緒に行ってもらって、母は絶対に一緒に行ってくれませんし、嫌でしたけど、しょうがない。1番安い端末の1番安いプランで。一旦、継父に借金して、買いました。その後の毎月の支払いも、全部自分のバイト料から出していました。毎月のバイト代は三分割、一つはスマホ代、一つは家に入れて、残ったお金で…、そう、シャーペンとか消しゴムとかノート、学用品ですね。あと靴下とか買ってましたね。そうそう!シャンプーも。中学までずっと、頭も顔も身体も、全部普通の固形せっけんで洗ってたんですけど、やっぱり普通のせっけんで髪を洗うと、ギシギシして…。さすがに高校に入って、シャンプーだけは許してもらって、自分で買ってました。1番安いやつですけどね。何だっけ、〇ブリーズ的な?女の子っぽいやつは母が許さないので、弟と兼用でした。そうそう、その頃の記憶はあります。母は、私、よくわかりませんけど、高そうなボディソープとシャンプーにコンディショナー、別に洗顔専用のソ-プも使っていました。私には絶対に触らせませんでしたけど…。母は、私に、あんまり女の子っぽくさせたくなかったようなんですよね。

 あ、スマホですけど、結果的には大いに役に立ちました。無理して買ってよかったです。今どき、ネットでありとあらゆることが調べられますよね。私には、ネット情報が全てだった気がします。たくさん学んで、たくさん勉強しました、ネットで…。わからないことは何でもググる!〇チューブ先生さまさまでした。あ、ウチのアパート、全体でWi-Fi環境だったんで、ホント助かりました。