「ホントに母と2人っきり。その頃、ウチにはテレビもなかったんで、ニュースや子ども番組、コマーシャルから情報を得るなんてことも全くなかったんです。母がパートに行っている間も、ずっとウチにいました。外に出ると母が怒るんで…。まぁ、私の一番古い記憶は、4歳とか5歳で、そんな、1人で外出したら単純に危ないっていうのもあったんでしょうけど…、それよりも、そんな幼児が1人でフラフラしてたら、通報されちゃいますよね。そうなったら面倒臭い…。だからっていうのが大きかったと思います。基本部屋の中に、時々、お外っていっても、長屋のすぐ表や裏や、まぁ結局敷地内の、例の花壇の辺りをウロチョロする程度で…。今考えると、私、独りで何してたんだろうって思います。

 たまに母の食料品の買い出しについてスーパーへ行くのが、本当に楽しかった。当時の私にとっての唯一の社会との接点でした。大人や子供や、色んな人がいて、楽しそうに色んな会話をしてて、棚に陳列してあるたくさんの商品があって、それが何なのか、よくわかってなかったんですけどね。あの…、母が買ってくる缶ビールやカクテルの瓶が並んでて、あ~これかって、金や銀や、ピンクや青や、とってもきれいで、私、お酒売り場のフリーザーの前で、ずっとお酒のビンカンを眺めていました。はしゃいで、棚に並んでいる商品を見て『これは何?これは?あれは?』て母に訊いて、でもうるさがられて怒られて、しょげて…。

 それでね、古くてボロの服ばっかり着てて、給食だけは2人分食べて、あ、お家でご飯が食べられないのなんて、しょっちゅうだったんで、給食はホントにありがたかったんです。余ったパンも貰って帰ってました。

 あ、え~と、すいません、あの、ですね、勿論、貧困なんですけど、母はそれなりに稼いでいましたから、全然お金がないっていうわけじゃなかったんですよ。それでもその、私に意地悪して、わざと食事を食べさせないこともあったんです。気に入らないことがあると、母は私を置いて、客の男とどっかに食事とか出掛けて行って、そのまま朝まで帰ってこないなんてこともよくありました。私は、部屋で、1人で、学校から貰ってきたパンをかじっていました。冷蔵庫の中の野菜やハム、牛乳なんかも、勝手に食べると母が怒りますし、そもそも食べ物が全くないこともあって…。あ~失敗した!学校から何か貰ってくるんだった!なんて…。時々、近所の人が食べ物をくれたりするんですけど、それがバレると、もの凄い剣幕で母が怒るんです。外に出るなって。人目につくなって。部屋の中で電気も点けるなって言われてました。母が夜、帰ってきた時、電気が点いていると怒るんです。まぁ、深夜になれば、私、電気を消して1人で寝ていましたし、母は朝になって帰ってくることも多かったんで…。でも夜、寝る前に1人でトイレに行くのに、怖くて怖くて…。共同トイレで、部屋の外だったんで、土間の、炊事場のある裸電球の廊下を通らなくちゃいけなくて。ホント怖かったです。部屋に戻っても、ビクビクしながら点けたり消したり…。子供だったから、やっぱり真っ暗だと怖いんですよね…。早く母に帰ってきてほしい。でも、電気が点いてたら怒られる…。怖くて不安で寂しくて、どうしたらいいのかわからなくて、独りで泣いてました…。」

愛梨は、ここでミルクティーを一口啜る。

「あ、すいません、話が前後しますけど、私、保育園も幼稚園も行ってなくて、小学校の入学式も行ってないんです。小さかったからあんまり覚えてないんですけど、市の職員の人なのか、学校の先生だったのか、男性と女性と数人で何度も家に来て、母とモメていました。母が怒鳴って、その大人の人が、一生懸命母を宥めていました。で、4月だったのか5月だったのか、ある朝、知らない大人の女性に、多分この人は担任の先生だったと思うんですけど、私、その人に小学校に連れて行かれました。ランドセルも鉛筆も何もない状態でした。とにかくびっくりしました。大きな建物で、自分と同じくらいの子や、大きなお兄さんやお姉さんがたくさんいて、怖かったです。

 私、社会から隔離されて暮らしていたようなものだったので、まず集団行動が全く出来ない。集団行動って何?て感じです。先生が『はい!みんなこっちに集まって~!』て言うと、全員がだぁ~って駆け出していくんです。びっくりしました。え?何?何があったの?みんなどうしたの?みたいな…。私、何のことかわからず、1人でぼ~っと突っ立ってると、先生が『愛梨ちゃんもだよ!こっちにおいで!』え?私も?何の用?て感じで…。先生、大変だったと思います。随分困らせたんだろうな、覚えてないけど…。」

愛梨は少し笑った。

「小学校に連れていかれた当時、私、ひらがなもカタカナも全く、自分の名前さえ読めない状態で、数字の概念もよくわかってなかったんです。それに、その…、勉強のことはともかく…。

 何かの授業中に『七五三』の話になって、みんなが盛り上がって…、懐かしい!なんて話してましたけど、私、そもそも『七五三』が何なのかも知らなかったんです。『小さい頃、ママに絵本読んでもらったでしょ?』みんな『そうそう』なんて…。でも私にはそんな経験は1度もなくて、そもそも絵本なんて知らなかったですし、お絵描きさえしたことがなかったんです。家に鉛筆やボールペンくらいはあったんで、何かいたずら書き程度のことはしてたと思うんですけど、クレヨンなんて、私、知らなかった。教室の後ろに置いてある、学級文庫ってやつですね。休み時間も昼休みも誰とも遊ばず、私、夢中になって貪るように読んでました。もちろん私、字が読めなかったんで、小1の時とか、ほぼ絵本ですけどね。私がいつも独りでいるから、時々先生が隣に来てくれて、字を教えてくれたりして…。知らないことだらけで…。

 普通の子が、日常生活の中で自然に知って身に付けていく、当たり前の常識。それが私には全くなかったんです。誕生日にはお祝いをするだとか、私、そもそも自分が何歳なのか、自分の誕生日さえ知らなかったんです。学校で、何かの時に先生が教えてくれました、私の生年月日…。書類に記載されてたらしくて…。誕生日って何?誕生会って何?鯉幟って何?お雛さま?鬼は外も福は内も、私は何も知らなかった…。クリスマスにはケーキを食べるものだとか、サンタさんがプレゼントを運んできてくれるだとか、小学校で友達に教えてもらうまで、私、知らなかった…。」

愛梨は、悲しそうな顔になり、ほんの少し涙ぐんで指で目元をぬぐった。。

「あ、でも、お正月に、近所の人がお餅をくれたことがありました。お醤油で焼いて海苔が巻いてあって、熱々で…、もの凄~く美味しかったです。お腹空いてたから、あっという間にペロッと食べちゃって…。でもまぁ、お正月だからっていう意味は、わかってなかったんですけどね…。ただ、よく考えたら、あれは本当にお正月だったのかもわかりませんよね。一般家庭だったら、お正月じゃなくてもお餅を食べることくらいあるんだろうし…。当時、ウチでは年中行事的なことは一切なかったんで。」

自嘲するように、愛梨は笑った。

「私、周りの子たちにも先生にも全く打ち解けず、全然笑わない子、いつもしかめ面をして下を向いている子、滅多に口も開かない子だったんです。店長、私、目付き悪いですか?確かに、垂れ目系じゃなくて、どっちかと言えば釣り目系ですけどね、同じクラスの女の子が、私に見られて泣いちゃって…。睨まれて怖かったそうです。私は何かの拍子にチラ見しただけなのに…。それから、益々人と目を合わせないように、下ばっかり向くようになって…。お古のボロの服を着て、あんまりお風呂も入らせてもらってなかったから、身体も頭も多分臭かったからだと思うんですけど、なかなか仲のいい友達なんて出来なくて…。ていうか、誰も私に近付いてこなかったですね。ただそうさせていた、そう、無意識のうちにそう仕向けていたのは、私なんですけどね。でも虐められるようなことはなかったです。今考えると、周りはいい子たちばっかりだったんでしょうね。先生も周りもウチが貧困家庭でまともじゃないってことはわかってたんだと思います。だからなのか、学校では、みんな普通に接してくれていました。普段は遠巻きにして、でも女の子たちは、私が、はぶられないように、時々声を掛けてくれたり誘ってくれたりもしてくれましたけど。でも私には、正直それが重荷だったんです。楽しそうに遊んでいるお友達を見て…、一緒に遊びたい気持ちが…、なくはないんですけど、でも遊びたくない気持ちもあって…。なぜでしょうね。私、幼心に、私はみんなとは住んでいる世界が違うんだ、仲良くしちゃいけないんだって、思っていたのかもしれません。

 学校はだんだん好きになっていました。学級文庫と図書室が大好きでしたね。それに、とにかく給食があったので、休まずに通っていましたけど、遠足とか修学旅行とかお祭りとか、やっぱりお金がかかるから、そういうのは全部パスで。だからみんなも気を遣ってだんだん誘わなくなって、私も断るのが申し訳なかったから、誘われなくなって内心ホッとしていたんですけどね。

 で、ですね、小4の時に、母が再婚したんです。どういう経緯かは今もわからないんですけど、そう言えば、正式に籍を入れたのかどうかも、私わかりません。何度か、多分お客として来て、その後もよく来る男が出来て…。まぁ、母の彼氏だったんでしょうけど…。他のお客さんの時は、私、家から出されて、普通お客は終わると帰るんですけど。その男は、行為が終わった後も帰らずに、母と3人で一緒に夕飯を食べることも何度かあって…。ただ、その男と付き合うようになってからも、母は、しばらくは売春の仕事は続けていましたから、まぁまともな男ではなかったですよ。何をしている男なのか、未だに知りません。その男が家に来ると母は機嫌がよくて、私も嬉しかったですし…。結局、その男が家に転がり込んでくる形で、3人で暮らし始めました。

 最初のうちは、私にも少し笑って優しくしてくれたこともありましたけど、すぐに本性が現れて、気に入らないことがあると、すぐ怒鳴ったり引っ叩いたり…。1日中、家でゴロゴロして、昼間からビールを飲んでテレビを見ていることもありました。そうそうテレビ、その継父が持ってきたんですよ、小さいやつですけど…。そうかと思えば、フラッといなくなって、2,3日帰ってこないこともありました。継父がいなくなると、私は心底ホッとしていました。ご機嫌を取らなければいけない相手が、母と継父の2人から、母1人に減ったのもありますし…。でも、まだその頃は、私も寂しかったんだと思います。こんな母ですけど、でもやっぱり…、私のことも見てほしいっていう想いがまだあって…。母と2人、元の生活に戻って、母の、私を見る回数が、少しだけ増えるような気がして。母に怒られて、怒鳴られて引っ叩かれて、怖かったし痛かったし…、私、メソメソ泣いたり、大泣きしたり…。でも嫌じゃなかったんです。ちょっと嬉しい気持ちもあって…。」

「え?」

「すいません、変なこと言って…。あの、怒られてても、でもそれは、母が私に意識を向けてくれている時間なんです。母が私のこと見てくれている…、母が私に視線を向けてくれるのは、私を虐待している時だけなんです。だから、私には大切な時間だったんです。」

そんな?そんなことが…、そんな親娘関係があるなんて…。信じられない…。愛梨は、信治の顔色を察すると、

「あ、普通の感覚だったら、殴られて嬉しいなんて、勿論変なんですよ?変なんですけど。でもね、店長、こういう感じ方、感覚って被虐待児童には、結構あることなんだそうですよ。学校で習いました。だから、私だけじゃないんだって、ちょっとホッとしたりして…。」

愛梨はちょっと笑った。大人になって、幼少期の自分を客観視出来ているのか、心の傷は?癒えているのか?いや、そんな…。