こんな信治の高校生活は、当然、女子とは全くの無縁だった。交際した彼女はおろか、クラスメートの女子ともまともに会話することも出来ない、鬱屈した学生時代だった。根底には、信治のマイクロペニスの存在があったことは言うまでもない。例えば、おどけて笑って女子と仲良く会話を交わすことくらいは可能なのかもしれない。でもそれ以上は…、特定の女の子と好き合い、深い仲になるなど考えられないことだった。こんなダメな自分を、こんな小さなペニスの自分を、女子が相手にしてくれるはずがない。好きになってくれるはずがない。笑われて、馬鹿にされて、冗談でしょ?ムリ~!と蔑まれるに違いない。そんな風にハナから決めつけていた。先がない、先が見えない。だからこそ、クラスの同級生女子たちと雑談を交わすという、最初の一歩さえ踏み出せずにいた。

 それでも性欲のあり余る男子高校生だ。同級生女子たちの、柔らかそうな唇、白いうなじ、髪、きれいに延びた足、すれ違った時に仄かに薫る、甘い甘い香り…。校内の階段で、女子生徒のスカートが風にフワッとめくれ、幸運にも見えてしまった白い太腿と、そして下着。背中に透けるブラジャーのライン…。体操服越しの胸の膨らみ…。そんな刺激的な、欲しても欲しても、いくら渇望しても、絶対に手の届かない輝きと眩しさに、羨望と憧れを抱き、心を乱され、家では悶々と、毎日毎日、自分の無力さ、無能さ、劣った容姿、そしてマイクロペニスを恨みながら、それでも自慰行為を欠かすことはなかった。

 

 そんな信治だったが、高3になり、同じクラスのある女子生徒に淡い恋心を抱いた。加奈子という明るく快活に笑う可愛い女の子だった。クラスの中心で溌溂と活躍する加奈子を、信治は遠くから眩しく見つめ、彼女が自分の恋人になってくれたらと、心の底から願った。しかしそれは全く実現不可能な妄想で、信治自身も加奈子は自分とは別世界に生きる、自分には到底手の届かない存在だと、早々に諦めていた。加奈子が自分を好きになってくれることを、自分が加奈子と付き合うことを想像する、それさえ、身の程知らずだと何度も自分に言い聞かせた。そもそも加奈子には、これまた同じクラスに、巧という彼氏がいた。運動部のエースで長身イケメン。大して勉強しているわけでもないのに、いつもそこそこの成績を取ってしまう。当然、女子にもモテモテで、何人もの女の子が告白しては断られ、涙を飲んでいた。スポーツ推薦で早々に有名大学への進学を決め、加奈子というとびきりの美少女の彼女も手に入れている、典型的な勝ち組男子だった。信治は、巧に較べれば、人間として、男として、自分がどんなに劣った存在か、否が応にも思い知らされるのだった。加奈子と巧は、クラスでも公認の、スクールカーストトップのカップルで、校内で2人が話している姿や、連れだって学校から帰る様子も、何度か目撃していた。信治は、そんな2人に、指を咥えて羨望の眼差しを向け、家に帰って加奈子を想い、悶々として、切なく自慰行為を何度も何度も繰り返していた。

 歪んだ渇望。信治は、自慰行為の際どんな妄想を描くのか。現実には1度も口を利いたことがない加奈子。たまたま出会ったタイミングで、挨拶くらいはしたことはあるが、しっかり言葉を交わしたことは1度もない。信治は加奈子に想いを寄せ、教室で、廊下で、ひそかにその姿を憧れの眼差しで追いかけている。しかし加奈子の方は?毎日同じ教室で勉強しているのだから、信治の顔と名前くらいは認識しているだろうが、加奈子の頭の中に、信治は1ミリも存在していないに違いない。では、妄想の中では?加奈子が自分を好きになってくれ、優しい目で見つめてくれる。恥ずかしそうに、それでも自分に甘え、縋ってくれる。目を閉じた加奈子に信治は優しくキスをする。加奈子が自分を受け入れてくれる。そんな、自分が加奈子と付き合う妄想。加奈子が自分の彼女になってくれ、愛しあう妄想。いやそうではない。意外なことかもしれないが、信治は自慰行為の際、自分自身が加奈子を抱くのではなく、加奈子が、巧に抱かれてる姿を想像していた。憧れの、大好きな大好きな、自分が恋焦がれてやまない、あんなに可愛い加奈子が、彼氏である巧とは、何度もキスをして、肌を許し、しがみついて切ない声を上げている姿を想像してみる。巧が、加奈子の全てを奪い自由にしている姿を想像してみる。それは、狂おしいような激しい性的な興奮で、嫉妬と羨望、劣情、まるで燃え盛る炎を鎮めようとするかのように、胸の傷みに堪えかねたように、加奈子の名を呼びながら、小さな小さな自分自身を激しく慰め、ほんの少しだけ、終わった一瞬だけ楽になり、そしてまた、むくむくと湧き上がる切ない想いに堪え切れず、何度も…。

 なぜそんな歪んだ妄想をしてしまうのか?自慰行為という極めてプライベートな空間で、誰にも知られず誰にも迷惑をかけない、1人きりの妄想の中で、それでも信治は、自分が加奈子を抱くシーンを想像出来ないのだ。そんなことが現実に起きたらどんなに幸せだろう。それを望んでいないはずはない。それでも、自分が加奈子を抱くことなど絶対にありえない。加奈子が自分に身体を許してくれることなど現実感の欠片もないことだった。逆に、高校生カップルのこと、信治の妄想の中の2人の性行為、それは確かに妄想なのだが、しかしそれは現実感のあるものなのだ。あんなに可愛いのに、あんなに明るく元気で無邪気な笑顔を見せているのに…、彼氏とはヤッてるんだ、巧とはセックスしているんだという妄想は、単なる妄想ではなく、おそらくそれは現実で、信治は嫉妬に狂いながら加奈子に恋焦がれ、何度も何度も狂おしく加奈子の名を呼びながら果てた…。

 

 信治の性癖…。それは、信治がまだ中1くらいの頃、たまたま家で見た洋画の衝撃的なシーンだったように思う。映画の中で、初々しい高校生カップルが、デート中に別の男女の不良2人組に絡まれ、とあるビルの廃墟に拉致される。彼氏の方は、男に殴られ縄で縛られ自由を奪われる。男は、恐怖に悲鳴を上げている彼女を、強引にどこかへ連れ去る。彼氏の方は、何も出来ずにころがされ、女に見張られているのだが、その女が、ヘイ!いいもの見せてあげる、と、縛られ倒れている彼氏を立たせ、瓦礫の中、隣の部屋を覗かせると、自分の彼女が、男に犯されている。しかし、あろうことか、あれほど泣いて嫌がっていたはずの彼女は、徐々に恍惚の表情を浮かべ、悩ましい喘ぎ声をあげながら仰け反り、男にしがみついていく…。そんな彼女の姿を見せ付けられ、彼氏は絶望の涙を浮かべる。そんな彼氏に、女は冷笑を浮かべながら侮蔑の視線を向ける。信治は、このシーンに異常な性的興奮を覚えた。自分が心から愛する女性、大切な大切な、可愛い可愛い女の子が、他の男に抱かれ、そして切ない声をあげながら男に身を委ねる。まだ少年だった信治にとって、それは生涯で最大の衝撃で、当然、信治自身の心理的投影は、彼女を犯す男ではなく、彼女を奪われ絶望し、涙を流している彼氏の方だった。この映画のワンシーンが、まだ少年だった信治の心の奥底に、深く深く刻まれていた。加奈子を、自分が愛してやまない女の子を、自分が抱くのではなく他の男が抱く、そのシチュエーションに性的興奮を覚える。これはある種、自己防衛本能の表れなのかもしれない。大好きな愛する女の子が他の男に抱かれるという、この上なく苦しく悲しく、絶望的な状況、それが、苦しみではなく、快感になってしまえば救われるのかもしれない。