小説版Trace of the resonance エピソード9 ~日常のまにまに~
3
紘子の指示通りにというか、旺盛な食欲を抑えるように言われた面々は軽食で朝食と昼食の間のような食事を済ませた。
唯一の男子である優斗には量的に少ないわけだが、周りが女子で固められているこの布陣ではどうこう言える義理はない。
眠くならない程度で、体が十分に動かせるだけエネルギーを補給し、隣接するビル群を抜けて海村楽器を目指す。
「結構遠くない?」
「駅から歩いて10分くらいだよ。そうでもないでしょ」
「まあ、そうね」
愚痴をこぼす美桜に、紘子は少しイラッとしたがそこは抑えておくことにした。まあ、美桜が時間通りにあらわれていれば、もう少し余裕をもって移動していたのだ。
計算に入れているとはいえ、美桜に言われることは少々歯がゆかった。
「ねえ、紘子ちょっと怒ってない?」
「怒ってないよ」
気を使う綺音をよそに、若干つんとした表情で歩みを進める。
並んで歩くと幅をとるので、2列で歩くが、それなりの人通りがあり少しばらけながら、遅れたり追いついたりで何とか固まって歩く。確かにそう遠くはないが、固まって動くのは神経を少しつかった。
ふいに、一行が通り過ぎたときに自動扉が開いた。
ブィィィー。
涼しい風が建物の中から流れてくる。騒々しい音がする。
「おっ」
音と風に優斗が振り返る。
「ゲーセン?」
「ちょっと、油売ってる暇ないんだよ」
振り返り、歩みを止めた優斗に美桜が声をかける。遠いと感じている美桜はどうしても早く目的地へたどり着きたいと思っている。
「へへへ」
「なに?」
入り口から覗く光景を指差して美桜に向かって優斗が笑いかける。
騒々しいと思う音も優斗には賑やかな音と聞こえていた。
美桜も立ち止まり、優斗のさすほうを見ていた。
「ちょっと優斗、置いてくよ」
刺すような紘子の声が優斗を一括する。
それでもにやにやとしながら、優斗はアミューズメントセンターへの入り口を見ている。
もはや、その視線と聴覚には紘子の感情は届かないようだ。
少しだけ時間をほしいとジェスチャーで優斗が訴える。
完全に感情が表情に出てしまっている紘子は、ぐぐっと優斗に迫ろうとする。しかし、服の裾のあたりを引く感覚に足を止める。
その間に優斗は建物の中へ姿を消した。
紘子の感覚の先、そこには綺音の手があった。もちろんその先には本人の体がある。
綺音は時計に目をやり、まだ少し時間に余裕があることを訴えた。
「そういう問題じゃないからね」
何かを言う前に綺音にそういうと、優斗を追いかけた。
「完全に私、怒ったから」
少し足早に建物の中に姿を消す。
「どうしよう」
綺音は、建物に掲げてある看板を見上げた。
『アミュージング・アミューズ』
ベタな名前の付いたゲームセンター。
不安な顔をしたまま、その場から動けなくなってしまう綺音。
動けない理由はシンプルだった。生まれてこのかた、ゲームセンターなるところに綺音は入ったことがなかった。
音が大きく鳴り響き、がやがやとしたその雰囲気が好きじゃないのだ。
第一、そんな場所へ行く機会がなかった。
意を決して入るほどの勇気がなぜか湧かなかった。いつの間にか美桜の姿もなくなっており、きょろきょろしているうちに完全に一人になってしまった。
「あ、どうしよう」
仕方なく、というか、どうしようもなく入口で待つことにしようと綺音は決めた。
ブィィィー。
閉じていた扉が開き、美桜がやってきた。
「何してるの?」
「いや、こんなところに入ったことがなくて」
「なーんだ。まあ、いいや。行こう」
ぐいっと、綺音の手を引く。美桜の力は意外に強く抵抗する間もなく引き込まれていく。
「ちょ、ちょっと」
「紘子が切れたから、止めないと」
「えっ、やっぱり」
「優斗のやつ・・・」
この時点で美桜の遅刻は帳消しになり、今回の集合の罪は優斗に課せられることが確定した。
「で、でもなんで優斗がここに入っちゃったわけ」
「あいつね、はまってるリズムゲームがあって、出かけたときは必ずそこに行くわけさ」
「リズムゲーム?」
「何にも知らないの?」
「あ、うん。私、興味ないから」
「そっか」
詳しく説明をしてほしかったがそれを求める暇はなさそうだ。
「大体、どこにでもあるゲーム気なんだけどね、エリアごとのハイスコアを塗り替えるのが優斗の趣味なんだよ」
「それ、優斗ってゲーム得意なの?」
「まあ、そうみたいよ、あ、見えてきた」
リズムゲームコーナーの最奥にあるマシンの前に優斗はいた。
幸い、まだ紘子の姿はなかった。
「あれ、紘子は?」
「迷ってるんじゃない」
「そっか」
「紘子が来る前に、ちょっと見ておかない?」
まったく興味がないと言えばうそになるからと、美桜のその言葉に綺音はうなずく。
「へへへ、来ましたねお嬢様方」
なんのセリフだと美桜は思ったが、この言葉こそ優斗にスイッチが入っている証拠だと理解できた。
「申し訳ないけど、俺のこれ持っててくれる」
「へっ、あ。うん」
「サンキュ」
ポンとベースケースを綺音に渡し、優斗はマシンにコインを入れる。
「こいつはね、ビートブレイク7って言ってな・・・」
「サウンドコンテンツが非常に豊富な音ゲー。プロからアマチュアまでが音源を配布プロバイダに申請して採用されたものが配信される。版権の絡みもあるから媒体によっては配信が早いものから遅いものまで、マニアックな楽曲までそろっている玄人好みのコンテンツなのよね」
「そ、その通り」
「ひ、紘子!」
的確な解説に優斗がひるんだ。
「軒並みあなたがこのゲームのハイスコアを各地で更新しているのは知ってるよ」
「へぇ、紘子も詳しいんだ」
「まあ、いいわ。楽しんでから行きましょうか。」
「ちょっと。怖いよ紘子」
「そうかな・・・」
明らかにオーラを発する紘子を目にしてか優斗が若干の緊張をする。
「とりあえず、解説の続きな。このゲームは自分の好みである程度プレイスタイルを変えることができるんだ。簡単に言うと特異な分野でトライができるというやつね。」
そういうと、画面を操作しながら優斗はあるものを選択した。
「基本はビートを刻むことなわけで、得意不得意はあるけど俺は基本的にこいつを使っている」
電子ドラムを模した形のパッドが優斗の前に現れる。
「セットアップ完了」
へぇと綺音が感心する。それを見て優斗は落ち着いたのか、プレイに関しての説明はここまでと伝えた。後は見ていてほしいと。
「サウンドセレクトは、このショップのハイスコアを出している曲。ディフィカルト、いわゆる難易度はVHだ」
「VH?」
「ベリーハードの略、公式難易度ではLGクラスね」
「LG?」
「レジェンドの略。各コンテンツで呼び方が違うからね」
「レジェンドって、伝説ってこと」
「伝説級に難しいってことよ」
「ふーん、紘子詳しいんだね」
「まあね」
紘子が異常に詳しいのに違和感を感じたが、綺音は優斗の様子を静観することにした。
「プレイ時間は一曲当たりおおよそ2分程度、感覚を磨くにはいいゲームだと私も思う」
不機嫌そうだった紘子の顔がにやりとした。
明らかに何かがあることを綺音は理解できた。もちろん、その横にいた美桜も同じことを感じた。
「それじゃあ、刻むぜ、俺のビートを!」
ハイスピードで激しいテンポのサウンドが流れ、夥しいアイコンが豪雨のように画面に降り注いだ。
その一つ一つを的確に優斗はとらえていく。
「優斗、ノリノリ」
「ドラム、やったほうがいいんじゃない。」
「まあ、ゲームよ。」
綺音には到底真似ができない芸当を披露する優斗に感嘆していたが、紘子だけは冷静だった。
「上手だとは思うわ。でもLG止まりね」
「えっ・・・」
美桜と綺音は顔を見合わせた。
終了を告げる最後の一音をたたき上げガッツポーズを決める優斗。
紘子の言った通り、優斗はハイスコアを塗り替えた。
「どうよ!」
「すごいね!びっくりした」
「だろ?」
「楽しそうだったね」
「だろ?」
「じゃあ、変わってもらおうかしら?」
「だろ?・・・えっ!?」
『え~!!』
美桜、綺音、優斗とリズミカルに言葉をつないだ先に衝撃的な紘子の言葉があった。
「ちょ、待て。」
「ハイスコアでしょ、軽く超えちゃうよ」
「紘子、なんか雰囲気変わってない?」
明らかにスイッチが入っている様子だ。1年以上の付き合いの中でこれもまた見せたことのない紘子の姿だった。
「やり方わかるの?」
「優斗、大丈夫。私もこれやったことあるから」
「ほう、お手並み拝見と行きましょうか」
「望むところ」
紘子は優斗と変わりコインをマシンに投入する。
「優斗と同じチョイスをするのは癪だけど、今このサウンドが一番スコアが高いから仕方ないわ。ディフィカルトも同じに設定と」
普段、ドラムを叩く紘子の姿を見ているが、それとはまた違う雰囲気を彼女は出していた。
その姿を見入る3人は違うことに気付く。
いつもとドラムスティックの持ち方が違うということ。
「さあて、行くわよ」
優斗と同じように正確無比に画面から現れるアイコンを叩いていく。しかし、紘子のプレイングは大きく違っていた。叩いているのは確かに正確だ。だが、サウンドの厚みが優斗を凌駕している。
「あいつ、よけいな部分を埋めてないか・・・?」
「え、そうなの?」
音のことだけを言うのであれば綺音にもそれは理解できた。
未完成なサウンド、いや正確に言えば意図的に完成させていないサウンドを演奏という行為で埋めるのがこの手のゲームであるのなら、優斗の音は完成された音だった。
しかし、この紘子の演奏は明らかに違うベクトルを走らせていること。
「ルート7」
紘子は演奏しながらそう言った。
完走するには余裕が十分だった。
最後の音を静かにまとめ、沈黙がその場を覆う。あれだけ賑やかだった店内が一瞬の静寂に包まれたようだった。
耐えきれない沈黙に優斗が口を開く。
「へっ、あんなにランダム演奏をかけたらスコアダウンは仕方ないんじゃないの」
「まだまだね。」
画面に映し出されたスコアとプレイ評価を見て優斗が愕然とする。
「SLG・・・スコア・・・俺の10倍?どういうこと??」
あれだけ爽快な表情をしていたプレイ後の優斗の顔はもうなかった。
「VHモードのは隠しスコアモードがあってね、通常クリアよりもはるかにスコアを伸ばす方法があるの。知らなかった?」
「まじか・・・」
「通称クリエイティブスコアと言ってね、提供楽曲の想定サウンド以上のアドリブを加えた場合にだけ加算されるスコアがあるの。」
「無理だ・・・俺じゃ、このスコア超えられない。」
「仕方ないよ、あなたじゃ無理だもん」
普段絶対に見せない紘子の態度に綺音と美桜は慄いた。
「ちなみにね、私、このマシンに5曲ほど楽曲提供してるの」
『えっ!?』
「それとね、マシンスペックテストを私とえっとまああと何人かいるんだけどやってるんだ」
『ええっ!』
「ってのは冗談よ」
「なんだよ!」
「なんでもないわよ。ちょっとびっくりさせようと思っただけだから」
「で、紘子どこからが本当なの?」
「楽曲提供はしたことがあるよ、5曲ってのは大袈裟だけど」
「そうだったんだ、すごいね」
「ありがとう。でも、私たちが演奏するにはそれぞれのスキルが足りないからデモを用意してないんだ」
「そうだったんだ」
「さて、息抜きもできたことだし今度こそ行きましょう」
紘子の恐ろしい一面を見た3人はもはや、何も逆らうことはないとそれに従った。
そして、言うまでもなく優斗の自信は地に落ち大きく打ち破られることになった。
時刻は、1時、30分前。十分とまではいかないが、しっかりと時間的な余裕をもって海村楽器に到着することができたのであった。
続く
小説版Trace of the resonance エピソード9 ~日常のまにまに~
2
翌日。
10時の集合時間に間に合うように家を出た綺音。
いつもよりも変な気合を入れてしまって、準備が思うように進まなかった。
休日の起床がいつもより早かったせいか愛猫のミケは支度中に部屋を荒らした。
片づけながら準備をしては、また片づけるの繰り返しだった。
東都電鉄の最寄駅まで自転車で10分。電車を利用するのは、転校する前からしばらく時間があった。
なんといっても久しぶりの電車なのだ。
以前通っていた明誠高校は、東都線中宿駅から乗り換えた私鉄の駅に隣接していた。綺音は電車の中で思い出していた。確か・・・乗り換えて2つ先の駅だったような。
そもそも、東都には複数のレール企業が存在した。レール企業というのは、いわゆる電車会社のことである。主に主要路線を持つのが東都電鉄、そして10を超える私鉄が大小の路線を運営していた。
都市機能にマッチングさせるため、私鉄のほとんどは地下へ路線を開拓し、地上へ展開する際は、高架を設けることで自動車道での渋滞などを引き起こさない工夫がされていた。
私鉄の中には学校法人格を持つものも存在し、駅に隣接させることで学生の通学の利便性を向上させていた。明誠高校もその一つで、私鉄運営会社が経営していた。
綺音が目的地としているルナリアがあるのは、中宿駅の3つ先、薬師駅。
中宿が各レール企業の中継拠点となっているのに対して、薬師駅は、商業施設が密集する地域に位置している。人の往来は中宿ほどはないが、密集度で言えば東都内でも上位クラスに入る。
相当の混雑は予想していたので、少しだけ余裕が欲しかった。結局、バタバタとしてしまう時間になってしまったことは綺音にとって残念な結果だった。
約束の時間の10分前に綺音は到着できた。
駅のコンコースを降り、目的のルナリアの大画面を目指す。
待ち合わせの定番地ということもあり、多くの人が画面の下にいた。ちょうど商業施設と大通りを挟むかたちになっており、人の往来も想定してありちょっとしたアーケードになっている。
すでに紘子がいた。
綺音に気付いた紘子が手を振る。綺音もそれに応えるように手を振る。一番身軽なのは当然紘子になるわけで、必要以上のものは持ち合わせていないようだった。
綺音はギターケースを気にしながら少し小走りで紘子のもとに駆け寄った。
「おはよう」
「うん、はやかったね」
紘子のほうが早いのに綺音にそう声をかけた。
「さっきついたんだ」
「そうなんだ」
一応時間内に到着した、その確認を兼ねてのあいさつなのか紘子は少し時計を気にしていた。
「たぶん、美桜は遅れるよ」
「えっ、そうなの」
「待ち合わせというか、時間を守るの少し苦手みたいでね」
それを聞いて綺音は不安になった。
「あ、大丈夫よ。スタジオはお昼から押さえてあるの。少し遅れることを見越してね」
「そうなんだ」
「計算の上よ」
転校して1年、紘子のほうが美桜と付き合いが長いだけあってよく知っているなと改めて思った。
駅の周りには様々な商業施設があるため、時間を埋めるのには問題がない。特別に何かをするわけではないのだが、羽を伸ばすという点でも良好な選択だった。
ルナリアに設置してある大画面には、10時を知らせる表示と音声が流れていた。
この画面にはいくつか仕掛けがあり、基本的には各種のプロモーションに活用されていた。
それ以外には、時報としての役割、特に音声が流れるのはこの時と、緊急放送を行うときだけであるのだ。視覚的な効果が主なものである。音声は、他業種への配慮ということもあり原則放送されないようになっているのだ。
時間通りに姿を現したのは優斗だった。
「おまたせ」
こちらは、かなりラフな格好にベースを入れたケースを持っていた。
「まあ、時間通りだろ」
そういうと、優斗は眠そうな顔で大きく欠伸をした。
「寝起き?」
「そうでもない、寝不足だね」
「そうなんだ」
「あれ?そんなに興味ない」
「眠そうだなと思っただけだから」
「あら、もう少し聞いてくれると思ったけど」
「時間通りだからそれ以上はないわよ」
「部長殿は手厳しいですな、相変わらず」
「遅刻しないだけ貴方は優秀だということで」
「淡泊だな」
「いつもと同じですよ」
ヘラヘラとした優斗の態度が気に入らなかったのか、紘子は淡々と話を聞いていた。
優斗の寝不足がなんだったのか綺音は気になったが、聞くほどの理由がないのだろうと紘子との会話を分析していた。
それから、30分ほどして美桜が到着した。
想定の範囲内だったらしい。それは紘子と優斗にとっての茶飯事なわけで、綺音には新鮮だった。
「おまたせ」
「まったわ。30分も」
「ごめんなさい」
少し走ったのか息が上がっていた。
「ついうっかり・・・」
「ギターを忘れて家に取りに帰った・・・」
「そう!さすが紘子!」
「よくあることだから、慣れてる」
「ごめん」
綺音は納得した。いつもギターを持って帰るとこういうことになるのかと。
しかし、遅れることを想定しているのであれば、美桜にだけ30分早い時間を伝えるなど工夫をするほうがいいのではないかと考えた。
優斗が綺音に声をかける。
「遅刻するなら早い時間を教えたらいいだろうと思ったよね」
うなずく綺音。にんまりしながら優斗は続ける。
「実は、前にその手を使ったら、意外なことに早く到着していて、美桜がすごく怒ったんだ」
なるほどと思った。気分を害するようであれば、相手を気持ちよくさせるほうを選ぶということらしい。
「まあ、3回試して、その全部が早く到着してしまったから、それ以来みんなと同じ時間を伝えるようにしたんだ。その結果、必ず30分遅れて到着するようになったというわけ」
本人の性格的な部分が大きいのだろうが、どうしようもない性癖のようだ。
「あくまで、メンバー同士で集まるときだけこのトラブルが起きるから」
「1年間も私は彼女の癖を知らなかったことになるんだね」
「そういうことになる。こういう機会自体なかったしね」
「あ、そうか」
美桜のちょっとした秘密をしったところで、一行は目的地へと向かうことにした。
海村楽器。
東都内でも、複数の楽器店が軒を連ねる商業ビル群の一角にあるらしく、駅からは徒歩で10分ほどの距離だ。
10分も歩くといっても、退屈はしない。
薬師駅近辺は、若者たちにとって退屈する時間を与えないほど、賑やかで華やかな街なのだ。
「海村には1時で予約入れてるから少し時間あるから」
それを聞いた美桜はドキッとした顔をした。
「じゃあ、ランチしてから行こうよ!」
レスポンスが半端なかったが、美桜は空腹を訴えた。
紘子にとってもちろんそれは想定内の出来事であったし、優斗もある程度承知していた。いわゆる既定路線。
「行きたいところ決まっているんでしょ」
「うん」
余裕もあることだからと、紘子は美桜の意見に賛同し、食事のため駅ビルの中に入った。
「あまり食べることは推奨しないから、軽食にしてね」
「了解」
1時まで残り約2時間があった。
続く
小説版Trace of the resonance エピソード9 ~日常のまにまに~
1
呉井の転入から1週間がたち、綺音の通う美空ヶ丘のクラスも落ち着きを取り戻してきた。
何か大きく変わったというわけではないのだが、やはり人が増えるということはある一定のコミュニティーに変化をもたらすということなのだろう。いち早く呉井に接触した綺音自身も転入してきた身で初めはそういう意識のもとにあった。
いつの間にかなじんでいるということはないのだから、こちらから受け入れるか、拒絶するかを決める必要がある。門をすでにくぐってしまっている状態で疎外をいやがるのなら受け入れるほかないのだ。
なじむというのは寧ろ受け入れる側の状態をいう。気づかないうちにそういうやり取りをすることになるのだ。だが、もっと簡便にことを済まそうと必要に応じて学校側は中の人間を整列する。ある単位のなかに放り込み、一定の確率でごちゃ混ぜにする。それがクラスの再編だ。
そうすることで若干でも変わる世界の中に違和感があったとしても知らぬ間になじむという寸法だ。
もちろん、入る側が一方的に拒絶しない限りはの話だが。
落ち着いた心持の中、日常に戻る軽音部の面々。呉井の話を聞いてから綺音は何も変わらなかったというのはうそになるが、ほぼ同じ生活を送っていた。
放課後になれば、部室に集まり、練習を始める。終わればライブの話をしながら下校する。時間があるときはクアトロによってお茶を飲む。何気ない変化に富まない日常だ。
部室の扉を開くと、すでに優斗と紘子がいた。
「お疲れ様」
そういうと室内のロッカーに荷物をまとめておき、自分のギターを触る。
「よお、」
優斗が声をかけた。
「さっきまで教室で一緒だったじゃない」
「そうだね」
「ところで美桜は?」
「おなかが空いたから購買部に行くって」
「ふ~ん、この時間に行ってもなにもないでしょ」
「いいや、軽食というか、パン類はあるらしくお気に召すのがあったら買ってくるんだってさ」
「そうなんだ」
担任の武藤に呼ばれて綺音はすこし遅れて部室に来たのだ。てっきり美桜も部室にいると思っていたのだが自分が先に来るのは想定外だった。
「ん?美桜に用事でも?」
「あ、うん。ちょっと武藤先生に頼まれごとがあったから」
「えー、面倒だね。」
「どうして?」
「結構雑用お願いされるからさ」
「そんなことなかったよ」
「ならいいけど」
「別に私だけがやれば問題ない事みたいだし、相談じゃないけど話だけでもしておこうかななんてね」
「あっそ」
「なに?話さないほうがよかった」
「そんなことないけど。」
「まあ、いいけど」
優斗の言いかたが少し気に食わなかったが、気に留めないことにした。
美桜が来る前にチューニングまでは済ませておくことにしようと綺音は決めた。
椅子に腰かけ、一弦ずつ調音していく。
ビュイーンとピックで一弦ずつはじきながら音を合わせる。昨日もしっかりと調整しているが、演奏終えてそのままでいると微妙にだが音がずれていることがある。
3弦目の調整をしていると美桜がやってきた
「ごめん、遅くなった」
遅いと言ってもまだメンバーが決めた時間ではなかった。
「お疲れ様」
紘子が美桜に声をかける。
「うん、いいのがあったから後でみんなで食べよう」
美桜が手に持ってきた袋の中からは甘い香りがした。コロコロとしたものがいくつか見えた。
「揚げドーナツだってさ、一口サイズでちょうどいいかなと思って」
「また口の中がパサつくようなもの買ってきて」
「なに?文句あるのなら優斗は食べなくていいよ」
「いや、文句はないけど・・・」
たじろいた優斗のお腹がぐうとなる。
「いただければ・・・いただきます」
「よろしい」
「お茶は後で買いに行けばいいか」
「そうだね、綺音も食べるよね」
美桜の声にびくっとして綺音の持つピックに思わずいつも以上の力が加わった。
パチン
調弦中の弦が切れた
「あ、」
一同が声を上げた。
「た、食べるよ・・・」
びっくりしつつも美桜の言葉に返した。だが、帰らないものができてしまった。
「切れちゃった」
「ああ、予備の弦が私のロッカーにあるはずだから」
そういうと美桜は荷物を置くついでとロッカーを開けて中を確認した。
そんなに広いロッカーの中ではないががさがさと中を探す。
探す。
探せども、見つからないのか、まだ探す。
「なあ、美桜。もしかしてないのか?」
「うん、見つからない」
ひとしきり探したが、ダメだった様子。
「ごめん、綺音。そういえば綺音が来なかった日に最後のストック使ったみたい」
「そっか、私もってるか見てみる」
綺音もロッカーの中を探すが、予備の弦はなかった。
「仕方ない、明日みんなで楽器や行こう」
紘子が切り出した。
「まじで!」
なぜか優斗のテンションが上がる。
「どうしたの?」
「俺さ、ちょっと新しくしたいものがあったからちょうどよかったよ。みんなにも選んでもらおうかなと思って」
「なに?」
「それは、明日いってみてからの楽しみさ」
「あっそ」
興味なさげに美桜が答える。しかし、今、弦がほしい綺音にとって今日の練習がふいになることは間違いなかった。
「どうしよっか、今日」
紘子に相談を持ちかける。予備のギターはないし、演奏の練習というわけにも行かなかった。
「ボーカルだけやってよ。たまにはいいじゃない。」
「いい?」
「構わないよ。」
「うん」
今日の練習メニューを組み直すことを決めた紘子は、明日が休みでよかったと思った。
「ちょっと荷物になるけど、美桜と優斗も今日は自分の楽器持って帰ってね」
「え?」
「どゆこと?」
紘子の言った意味が分からず困惑する二人。そんなにきょとんとされてもといった表情で紘子は内心まだ何も話してないじゃないとおもった。
「明日、海村楽器に行くから」
海村楽器というのは、東都内でも有数の楽器チェーン店である。品ぞろえも豊富であり、これから紘子が言うことの続きがもう一つの目的でもあるのだ。
「たまにはスタジオ借りて練習しようと思ってさ、思い切って予約したら明日取れちゃったのよ」
「えっ!」
驚く面々。
それもそのはず、海村楽器のスタジオは簡単に予約することができない。アマチュアのバンドであれば低料金で使用時間が長いスタジオで録音設備も整っている、音場環境としてこの上のない空間であることから人気で、利用するには予約が必要でありかつ、抽選となるのだ。
「ちょ、紘子なんでおしえてくれなかったのさ」
一番食いついたのは優斗だ。
「教えたら調子に乗るでしょ」
「ん、まあ」
「そういうわけで、明日は10時にルナリアの大画面前に集合で」
一日が終わってから伝えるべきことを紘子は先に伝えた。少なからず舞い上がっているのは紘子も同じなのだ。ちなみに、ルナリアとは複合商業施設であり、東都電鉄が管理する駅ビルの別名でもある。
「今日の練習が終わらないことには明日はないから。明日のスタジオ入りは13時からだから、それまでに必要なもの揃えて臨みましょう」
切れのいい紘子の声に皆がうなずく。
ちょうど新曲を学期初めにみんなに配っていた、あの曲のレコーディングも兼ねてという思惑もあった。
始めて演奏したのはクレイドルだった。あの時はそれぞれが想像力のもとに持ち合わせた状態だったが、今度は大きく違う、あれから考えて、形になっているのだ。
「新曲の練習中心でいいんだよね」
「そうね。今日は綺音のボーカル中心になるけど」
「わかった」
美桜に質問にもさくっと答える。美桜もああはしているが、明日何をするのか容易に想像がつくのだ。
「じゃあ、始めようか」
紘子の掛け声に皆が頷き、今日も軽音部の、いや「PeaceGenerationFour」の活動が始まった。
続く
