ベニからポカラへは車で3時間ほど。
車で車道を通っていると、時折現れる家並みは普段と変わらないように思える。
地震の影響はここまでは来ていないようだ。
ポカラに着いたのは夜21時過ぎ。
このポカラは湖と数々の高山で周りを囲まれた緑豊かな街だ。通りにはトレッキンググッズを扱う店やレストランが立ち並び、夜にもかかわらず街明かりが賑やかだった。
ここも、地震の影は感じさせられなかったが、タクシーの運転手が言うにはピークのシーズンにも関わらず震災後ははるかに客足が少なくなったという。
当然と言えば、当然だった。まだダウラギリから下山して直後の私たちは、震災に対する実感を掴めない気持ちもあったと思う。
後日散策したポカラの街並み。南の島国のようなあっけらかんとした雰囲気がいい。
やがて私たちの乗ったタクシーはパサン達の誘導で街の中心部にあるセブンサミット御用達のホテルへと到着した。今までアンナトレックから小村や山々を転々としていた私にはものすごく豪華なリゾートホテルに映ったのだが、実際ポカラの中でもいいホテルだったのではと思う。
カムラを出発してから徒歩、ジープ、タクシーで延々14時間くらいの長旅の一日だったので、やっとゆっくりできるという安堵感があった。
ホテルのロビーにはテレビがあり、それがカトマンズ市街やその他被害の大きかった村の損害を報道していた。
初めはBCで500人と聞いて言葉を失った死傷者数が、テレビでは1万人を超えると言っている。死者だけで6500人超。
パサン達も首を振るしかなかった。幸い、彼らの家族は無事だったようで、とりあえずみんなホッとしていた。パサン、ノルブ、ラジャンの3人の家族はいずれもカトマンズ在住。
このホテルではWifiが使えたので、約3週間ぶりにスマートフォンをネットに接続する。
私はフェイスブックをやっているのだが、そのサイトを中心に複数の友人達から安否確認のメールが来ていた。話しを聞くに、日本でも連日ネパール大震災のニュースが報じられていて、故郷の石川県では「ダウラギリ登山中の20代男性が安否不明」という記事が出たため心配されたようだった。(もっとも、その記事が出た数日後に安全確認の報道も出たよう)
ホテルのロビーで友人にメッセージを送った。
夕食は5人でダルバート。ダルバートは豆のスープの味や付け合わせの肉・野菜などが店によってアレンジが全く違うので、食べるまで美味いかどうかわからない。ここのホテルのはおいしかった。ちなみにどの店でもダルバートはごはんから何からお代わり自由。
パサン、ノルブ、マルコ、ラジャンの4人はこの次の日にバスでカトマンズまで帰るという。私は父経由で飛行機の日程を変更してもらったが、その日までだいぶ時間が空いていたためポカラに数日滞在することにした。
数日間閉鎖されていたカトマンズ空港に、地震を恐れて帰ろうとする観光客が殺到したためである。
だから、翌朝には4人と別れることになる。同じチームですらなかったが、ここまで一緒に行動したりぶつかったりしてきたのでなんか少し名残惜しい気もした。
夕飯が終わってからも、しばらく使用していなかったネットで情報を集めたりするためにWifiの使えるロビーで時間を過ごした。たまにラジャンと話しながら。
なぜかツインベッドの大きな部屋を一人で広々と使わせてもらい、久々のシャワーをしてから就寝。
朝は6時起床。みんなを見送るためだ。
ロビーに降りるともう4人とも出発の準備をして座っていた。
全員で話すときはしょうもないジョークか、今後の話しかしたことがなかったが、
ダウラギリで奮闘した絆は、確かにあったと思う。
ありがとうと言いたかったが照れくさくて言いにくく感じてると
パサンが「フェイスブック教えろよカンチャ」と言ってくれた。
ありがとう。私の最初のザイルパートナー。左からパサン、ノルブ、ぶるーじょー、マルコ。
パサンのもつ、機転がきき、冷静さも失わない強靭さは一緒に登っていてわかったし、何より初めてできたシェルパの友達だった。
ノルブは寡黙ながら心優しい山男。意外にに癒し系。体力もあり屈強である。
十人十色とはよく言ったもので、ダウラギリに集まったこの4人は個性もバラバラで一緒にいて飽きなかった。ハードではあったが、本当にいい時間を過ごさせてもらった。
これから5日後、追って私もカトマンズへとバスで出発した。
ポカラでは「神の山」とされ登山禁止になっているマチャプチャレが、雲一つない青空のなか天を衝いて輝いている。
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