昨日のことなんだけど、これからもいいことが得られたと思うので書きます。
昨日、改めて阪神淡路大震災の神戸新聞のドラマを見ました。
やはりその中で、
被災者になってわかったこと
という社説を神戸新聞は書いたそうだ
しかしこれはやはり被災者にならないとわからないことだ
実際、被災者じゃない人がこんな記事を書けない
そこで他の地域の被災について書いていた記事は、
本当に被災者の気持ちを思っていなかった、他人事で書いていた、といっていたと思う。
でもこれは大事なことだと思った。
自分も今後公務員として働くが、そこで政策を考えるにしても
住民からの意見を聞くことになる。
そのときの住民の気持ちっていうのはそこに住む人にしかわからない
人付き合いだってそうだと思う
軽はずみな発現が相手を傷つけるようにそれは自分が当事者じゃないから出てくる言葉だ。
だから当事者の気持ちっていうのは大切にしなければならないことだと思う。
またドラマでは写真を撮る意味ってことのジレンマが描かれていた。
苦しんでいる人の写真を撮って何の意味になるのか?
そこででた答えは、その人が生きていたことの証を残すこと、この震災をいつまでも忘れないようにすること、
であった。
これはメディアのつらいジレンマなのだと思う。
それと今日の朝日新聞の天声人語でお墓についてこう書かれていた。
「お墓において大切なのは故人をしのぶ装置ではなく、故人をしのぶ心だ」と
記事はお墓の現代の多様化についてのものだったけど、
これに関してはまさしくそうだと思った。
作って、はい、おしまいではない。
ちゃんとその人をしのぶことが大事なのだ。
ほんと当たり前のことなんだけどね。