あの人とは相性が悪い…といったように、私たち人間はよく人との相性を気にします。
相性が合う合わないというのは、ひとりひとり全く違う性格を持っていますから、あって当然です。
問題は、性格が合わない時にどうするのかということです。
相性が合わないとき、人というのは自分の欠点や落ち度について考えようとせず、相手のことだけを批判しがちです。何であの人はこうなんだ?あんな考え方をするなんて信じられない!といったような感じです。悪い相性でも、よい相性に変えていくことが十分できるのです。いつも衝突してしまう人でも、必ずそこには何か原因があります。理解力と正しい判断力、知識があれば、そんな関係であっても前向きな方向に持っていくことができます。ではいくら悪い相性でも変えていけるとはいえ、なぜ努力し、辛い思いをしてまで相性が悪い人と関係を持っていかなければならないのでしょうか。苦労してまで相性の悪い人とつき合っていく意味はあるのでしょうか。人間はいくらでもいるんだから、わざわざ相性が悪い人と無理してつき合っていく必要なんてないのではないか。しかし、あの人とは相性が合わない!と言うのは、私は悪くない。悪いのは相手の方と言っているのと同じで、ある種、自分の我を通しているだけといったケースが多いのです。世界を変えたいなら自分を変えること。人を変えたいなら自分が変わらなければなりません。我を押し通し続けているとどうなるでしょうか。人生と言うのは人との共に生きていきますから、自分の我ばかりを通して生きていれば、必ず批判の対象になってしまいます。協調性や和合の心が欠如しているために、影口を叩かれたり、輪から弾かれてしまったりすることだってあります。自分だけがそうされるのであれば、事業自得で終るかもしれませんが、こうしたことはやがて自分の家族、友人、同僚、そして我が子にまで影響していくことがあります。人間と人間の関係というのは、お互いの理解力によって支えられています。どこまで相手を許してあげることができるか。どこまで相手の心情を考えてあげることができるか。どこまで相手の事情を考えてあげることができるかです。相手の事情、心情を理解するためにも、まずは自分が正しい判断力、理解力、知識を手にいれることです。人間関係においては、話し合うこと、気づくこと、忍耐すること、努力することがいかに大切かということを忘れないことです。それは自分自身の魂の成長につながります。自から積極的に人との絆を作っていくことは、自からの意思で幸せの道を選んで進んでいくことななりますから、必然的に人が集まって来て、幸せの連鎖が起こります。人を許すというのは、言葉でいうほど簡単かことではないかもしれません。やはり人間は自分を守るために人を傷つけてしまうのだと思います。過去、現在、未来を考えずに一時の感情で行動していては、うまくいくのもいきません。冷静な判断力をもって人と付き合い、人生を生きていかなければならないのです。そうすることで、円滑な人間関係が生まれ、人生は幸せな方へどんどん進んでいくのです。人を許すということは自分の人間関係の幅をどんどわ広げることでもあると思います。人にはいい部分と悪い部分があって当然です。100%完璧な人などこの世には存在しないのです。欠点があって当然なのです。
悪い部分は許してあげ、いい部分をみてあげて下さい。そのように人を許し、人を受け入れていくことができれば自然と自分の周りに人が集まるようになり、どんどん幸福が訪れるはずです。嫌だから嫌だとばかり言っては、幸福のチャンスを自から放棄してしまっていると同じですよ(^^)
人とのよい相性を築き上げ、幸福を手にして下さい(^^)
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