わたくしたちがこの世を生きていくうえに、いつもはっきりと知っていなければならないことは、自分が相手にたいしてどういう感情をいだくことも自由であるように、またその相手が自分にたいしてどのような感情をいだくこともまったく自由であるということである。




その計算を冷静にちゃんとして、相手のどういう態度にも、けっして打ちのめされない自分をこそ、いつもしっかりともっていなければならない。


期待することが、いかに身勝手なことであるかということを知っていなければならない。




その心の準備を失っているところに、失望や落胆は、つくられるといってよいかもしれない。


そしてそのように考えてみれば、失望や落胆は、相手からあたえられたものというよりは、自分の身勝手な期待によって、自分からつくりだしたものだともいえないことはない。




そして、自分が傷つくことの苦痛は、さけられるかぎりはさけていく努力をすることが、わたくしは正しい生きかただと思う。




どんな人にたいしても、わたくしたちが一方的にその人を愛する自由は、すべての人にあたえられている。


そしてどのような人にたいしてでも、その人を愛するだけで不幸になることはない。


不幸になるのは、その愛情に答えてくれる期待を信じることのなかでだけつくられる。




わたくしはその意味で、この世に生きていくためには、愛するよろこびのなかで、いっさいの期待をけっしてもたないこと、それこそが、自分も傷つけない、人も傷つけない人生のいちばん美しい人間の愛情だと信じている。




古谷綱武さん著:『現代人生論』より。






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もう10年以上前でしょうか…この文章を初めて読んだのは。




あれは確か、ある法曹系の国家試験を受けるべく、国語の長文読解を勉強していた時、テキストに問題文として、載っていたのです。




こんなにも、ストレートで、切なく、乾いた、悔しいけどすごく正しい…そんな意見を突きつけられて、学習時間内、設問に答えるどころか、本文に釘付けになっていたのを覚えています。




そうか…私が悲しいのは…このせいだったんだ…。




とても感銘を受け、手帳の1ページ目に全文を書き写し、毎日持ち歩いていた時期もありました。


しかし、ほどなくして、その手帳も別のものに新調して使わなくなり、共感していたnicoも、いなくなっていました。




すっかり忘れていた文章…なんかの拍子に思い出しました。




緩やかに忘れたり、突然思い出したり…そして、私は、いまだに模索している…。




…愛するということ