スマホをもつ風景は、いまや当たり前だ。

むしろ持たない光景の方が、一瞬あれとなるくらい普及した。

「自分が高校生のときは、メール打とうと携帯出しただけでバスの運転手に怒られたな~」と感慨深く思う。

「今の子には理解されない」という感覚が、自分の年齢でこんな早くくると思ってなかった。

全員がスマホをもつ時代は、便利なようで不便性もある。

自由なようで、制限を掛ける力もある。

少なからず情報が淘汰されやすい。

将棋は昔からのゲームと思われるが、「最新」戦法の廃り流行りがすごくなってしまった。

その原因は情報合戦=研究の影響と言われる。
少なからずコンピューターが要因だろう。

3、4年前は角交換振り飛車が流行ったし今は雁木。

当時では考えられないスピードで動き、何なら若い棋士の間では"合理的"な考えをもち、勉強会はやらないという。(コンピューターに聞けばいいということらしい)

全てコンピューター管理ということだ。

そう考えると、人間もスマホに行動させられてるんじゃないかと疑ってしまう。

人間の意思ではなく、「スマホ」に何らかの感情があり行動を制限させられてるんではないかと。

失敗も成功も、スマホが全部知っていて我々を意識的にその行動をさせている。

考えすぎだろうか。。