私は、国立大学受験のためのホテルを予約する際


大学の近く、では無く

大学の最寄り駅前のホテルにしていた。



大学周辺よりも、駅周辺の方が


ホテルが多く選択肢があった事

飲食店やコンビニが多かった事


それらを踏まえての判断だった。



受験会場である大学へは、駅からたくさんのバスが出ていて


バス停や駅周辺には、現役の大学生がボランティアで受験生を案内してくれるという事だったので、


その辺りについてはなんの不安も無かった。




ただ息子が、

朝ひとりで起きられるのか

時間を守って行動できるか


それに掛かっていただけだ。




そもそも



こんな基本中の基本のところで心配している、という時点でおかしいのだが


その当時は、


息子とはいえ、成人した男性をこんな事で心配するなんて愚かだと思いつつも



無事に起きて

無事に受験しますように、と



ずっと祈るような気持ちでいた。



受験さえ出来れば、合格して、入学出来るから、と。




そして息子が国立大学前期試験から帰宅した。



私は真っ先に息子に聞いた。


「駅やバス停にボランティアの大学生がたくさんいたでしょ?」

「大学まで迷わず行けたでしょ?」



すると息子はこう答えた。


「たくさん?」

「ひとりバス停の隅っこに座ってただけで、特に案内とか無かった。」




・・・・・そんな訳ない。




昨年度の様子として大学のHPにも写真が掲載されてたけど、受験生もボランティアもたくさんいたよ?



コロナ禍だと言っても、さすがにひとりきりでボランティアをやるはずがない。



なぜならさばききれないはずだからだ。

前期試験は当初の予定通り行われている。





嫌な予感がした。





ボランティアがひとりしかいなかったというのが本当ならば



大多数の受験生達が

駅に到着する時間帯や、バス停に向かう時間帯に


息子はその時間帯に居なかったという事ではないのか?



ほとんどの受験生達が

バスに乗って、大学に向かっていたはずだ。



『もうこの時間だから受験生はいないよね?』

『でも一応ボランティアひとりだけ残っとく?』


という状況だったのではないのか?




遅刻スレスレか、もしくは、遅刻か。




「遅刻したのか?」

と聞いたが、してないと答える息子を信じるしかない。





翌日夫が試験の手応えについて、息子に聞いていた。


息子は

「数学が難しかった。」

とだけ答えていた。


数学が得意なはずの息子が、数学が難しいと。



数学は確か一限目の試験だったが、

本当は遅刻したのではないのか?


本当に数学が難しかっただけかもしれない。



でも



遅刻していないという息子を信じたい気持ちと

嘘をついているのではないか?という疑念との狭間で苦しくなり



私のそれまでの幸せな気持ちは一瞬で消え失せてしまった。