本来【学び】には【喜び】があると思う。


興味の対象があり

新しい事を知りたいという欲があり


知識欲が満たされると

嬉しい、楽しいという脳への【報酬】があり


その繰り返しの中で


学びを深めていき、人は成長していくものなのだろう。




息子は幼少期、良くも悪くもとても好奇心の強い子どもだった。



1人で砂鉄集めに夢中になっていたり

石ころ集めに夢中になっていたり

蟻の行列をずっと目で追いかけたりしていた。



側から見れば、小さな子どもがほとんど動かず、ずっと地面を見続けている光景は

奇妙に見えただろう。


声を掛けても気が付かないほど、集中していた。




その反面、とても危険な事も多かった。



興味のあるものへ一直線に向かっていくので


周りが見えなくなって道路に飛び出した事も多々あった。



家の中に居れば安全かといえば、そんな事はなく


ベビーゲートを体当たりで突破して台所へ入り


調理器具を勝手に触っていたり

冷蔵庫を開けて中の物を勝手に食べていたり

シンク下に置いてあった油をぶち撒けて、その上でハイハイしていたり。


突発的な行動が危険で目が離せない事も多かった。



静と動の差が激しかった。

周囲には奇妙に見えていた事だろう。



ただ、そんな息子の行動の原動力は

【知識欲】や【興味・関心】だったと思う。




息子は、自分の興味に忠実に従い、対象のものと向き合い、自分の知識欲を満たしていた。



私が何も言わなくても、興味のあるものには自分から向かって行った。




そんな息子との日々は

私にとって大変だったし、困難も多かったが


発見が多く楽しい毎日でもあった。




それが変わってしまったのは



机上での勉強だけに集中するようになった中学生の頃からか。



嬉しい、楽しいという喜びの【報酬】の代わりに


【偏差値】という価値観が現れた。



【偏差値】というのは酷なもので


自分自身が頑張っても、みんなも頑張っていると上がらないものだ。


相対評価では、自分の成長を実感する事が難しい場合があるように思う。




常に【人と比べての自分】という物差しで測られ

競争の中で、好奇心は薄らいでしまったのかもしれない。