息子が日曜日の夜に通っていた日曜特訓はとにかく過酷だった。



公立中学校で習っていない範囲を

《理解済み》前提でどんどんと進んでいく。


一瞬でも気を抜くと、あっという間に置いていかれる。



そんなハイレベルな授業でも

食らいついていく生徒がいる。


悪い成績を取っても

次こそは、と努力を続ける生徒がいる。




やり切れる生徒とは、


《自分を信じて努力を続けられる》


《自分の将来を見据え、最終目標がはっきりしている》



テストの得点や偏差値という数字だけに振り回されない。


その数字は、最終目標に到達する単なる通過点に過ぎず、数字よりもむしろそこから自分に足りないものは何かを考え、努力を続ける事が出来る。



自分のあるべき姿のイメージがあり

多少過酷でも、《自分に必要だ》と自分で理解していて

自ら考えて、自ら行動出来る。





折れてしまう生徒は、


自分で決めた事ではないから、その過酷なレースを走り切る覚悟がない。


そもそも


それをやる意味自体が、ない。


意味のないもの(と本人が感じている)をやるのは難しいだろう。



親としては

「勉強しなさい」

と言いたくなるが、やる必要性がない(と本人が感じている)ので、


無理矢理やらせた所で、結果は出ない。





子どもの人生は、子ども自身で決めなければならない。

親は子の人生を歩む事は出来ないのだ。