夫は多趣味だ。
休日になると、自分の趣味のために出掛けてしまい、家にいる事が無い。
きっと、定年退職をしても社会との接点を持ち続け、有意義な毎日を過ごせる事だろう。
夫が趣味に遊びに飛び回っている間
私は、というと、、、
普段やり切れない場所の掃除や
買出しや
シーツ類の洗濯など
平日に出来ない事を休日にやっていて、結局家事をやっている事が多い。
私が定年退職をしたら、その後どうなるんだろう。
毎日が忙しく、趣味の時間もない、、、と言うか趣味自体無い。
そもそも、
自分が何に興味があるのか
何が好きなのか
やってみたい事は何か?分からない。
やらなければいけない事が多くて、心に余裕が無いのだ。
ご飯を食べながら、次のご飯のメニューを考える、、、ずっとそんな事の繰り返しだ。
毎日洗濯しても、毎日汚れ物が出てくる。
毎日掃除しても、毎日汚れる。
食器を洗った直後に、酒を飲み終わったグラスがシンクに置かれる。
やってもやっても終わりがない
ずっと連続して継続している家事。
このまま仕事と家事に忙殺されたまま走り続け、
気が付いたら、
一人になっていて、
何も残っていない、何も楽しみの無い
そんな老後が待っているかもしれない。
夫は平日仕事から帰ってきて寝るまでの3時間、酒を飲みながらくつろぎ、
頭を空っぽにして
疲れた頭をリセットしている。
だからこそ、
休日になると活動的に趣味の世界に没頭出来るのだろう。
息子も、中学生の頃、毎日煽られながら勉強していた。
次から次へと
ひとつ課題が終わっても
また新たな課題が与えられ
ひとつひとつこなしていたが、
その間
考える力を少しずつ失っていなかったか。
自分が好きなものは何か?
自分が興味のあるものは何か?
分からなくなっていたのではないか?
塾で出される宿題をやっていれば、成績は上がった。
ただ与えられたものをこなしていたが
自分で考える力は育っていたのだろうか。
本当の考える力は
何もしない時間の中にこそ、育つ。
人は内省する時間が必要だと思う。
要するに、何もしないでぼんやりする時間が必要なのだ。
勉強が出来れば
難しい問題が解ければ
「考える力が付いた」と言えるのか?
答えのある問題を解いて
正しい答えをたどり着く事が
「考える力が付いた」と言えるのか?
答えのない問いを自ら見つける事
その見つけた問いに果敢に取り組む事
それこそが「考える力」だと思う。
