「洗濯物は任せろ」

と、最近夫が言うようになった。


何かの気持ちの変化があったようだ。


いつも酒ばかり飲んで息子にイライラして

家の中はギスギスしていたが。




高偏差値高校に高得点で入学したのに、勉強をしなくなった息子に


「怠けている」

と、言っていた夫。



私が息子を駅まで送れば


「甘やかすな」

と、言い


「雨の日でも、荷物が多くても、自分でどうにかして行け」

と、突き放すように言っていた。


「バスでもタクシーでも使えばいいだろ!」と。




夫の言う事はいちいち正論で反論の隙も無いのだが


とにかく息子に対してだけ、冷たく厳しかった。


そんな状況なので就職が決まらない現在も

夫は息子に対してイライラしているのだ。





右の物も左に動かさないような、そんな夫が


「洗濯物は俺に任せろ」と言うとは。



ひとつでも家事の手間が減るのは有り難い事なので、


その申し出を快く承諾した。




ところが




雨が降ると

「今日の洗濯物、どうする?」

と、聞いてくる。


ソフト洗濯する物を分けられない。


洗濯洗剤が無くなると「洗剤が無い」と言うだけ。補充が出来ない。


洗濯機本体の掃除やフィルターの掃除をしなければいけない、という事を知らない。



洗濯といえば


洗う物を洗濯機で洗って、干すだけだと思っていたらしい。



いやいや



取り込んで畳んで仕舞う

必要ならアイロンもかける。


やる事たくさんありますよ?




自分で考えないなんて。

自分には甘く、息子には超絶厳しい夫。




夫は、仕事人間ではあるが

生活者としての視点は無く、その部分は全て私が補ってきた。



洗濯物ひとつにしても


《洗って干す》だけでは無い。

そこに至る過程やその後の始末がある。


家事は連続していて途切れる事はない。


洗濯物は天候に左右されたり、家族の予定に左右されたりする。

場合によっては夜干ししたり、部屋干ししたり、乾燥機にかけたり。やり方はいく通りもある。




【任せろ】と言うなら、洗濯に関わる全てを自分で考える事が望ましい。




夫は生活の全てを私に補完してもらっていて

その事に気が付かないでいた。


それでいて


息子に対しては

「自分でやれ」とか

「自分で出来ないのか」とか

「感謝しろ」とか



自分は全部やってもらっているのに

息子にだけ、そんな事を言うのだ。




言いたい事はたくさんあるが、何も言わずに全部飲み込んだ。



そして最初の頃は、

夫の質問に全て答え、更にあれこれ指示していたが、


《それでは夫は自ら考えて動くようにはならない》


と思い直し


今は見守っている。



私が余計な口を挟まなければ

夫は自分で天気予報を確認し、自分で判断して動くようになった。




あれこれ指示する必要はないのだ。

息子に対しても。