息子を塾に入れてどんどん先取り学習させ、演習を重ね、

学校の授業の予習復習を欠かさずやらせて、



そうやって努力を続けていれば



少しでも偏差値の高い高校へ行くことが出来るし、

それが難関大学への近道だと思っていた。



難関大学へ入学できれば、優良企業への就職ができ、安定した収入と生活が保証されると思っていた。



それは、確かにそうだろう、今でもそう思う。




しかし、それが全てではない。




ただあの頃の私は、

“それが全てではない”という事が分かっていなかった。



分かっていなかったから、必死になって息子に勉強をさせた。



それが全てと言わんばかりに。





息子にとっては、

勉強そのものは得意だったと言えたかも知れなかったが、


やらされる勉強に意味を見出す事が出来ず、


結局のところ


親の私が良い教育を、と思ってやってきた事は


息子にとっては恐らく


ただの苦行に過ぎなかったのだろう。

その意味の無い苦行から学ぶものは何もなく、


ただただ


与えられたものをこなしていくだけという状態だった。




世の中には正解のある問題だけが存在している訳では無い。



答えの無い解に辿り着く必要がある。


それこそ、【正解は何か?】を継続して考え続ける力が必要だと思う。



その力を付けるために勉強しなければいけなかったのに


いつのまにか


目的と手段が入れ替わり


ただ息子を苦しめてしまった。