「自分で決めてやっているんだろう。」


家事をやってくれない夫の言葉だ。



子ども達が小学生の頃


炊事、洗濯、掃除などの日々の家事全般

学校行事やPTA、自治会役員

子ども達の習い事の送迎


これらの事をほぼ全て私がひとりでやっていた。


仕事をしながら。




朝は目覚めてから、朝食を作り、食器を洗い、洗濯して干して、掃除をし、


子ども達が学校に行っている時間は仕事に行き、


夕方帰宅後は、洗濯物を取り込み畳んで仕舞い、夕食を作り、

学校からの連絡帳に目を通し、宿題を見て、

子ども達の習い事の送迎をし、


夕食後は食器を洗って、拭いて片付けて、


週末も自治会の会合に参加したり

集金に近所を廻ったりした。



毎日、目が回るような忙しさだった。



その間、夫は


「俺は仕事を毎日頑張っている」

「明日への活力が無いと、仕事に精が出ない」


と言って、家事はほとんどやった事がない。

家事をやらずに、酒ばかり飲んでいた。





会社で一緒に働く若い人たちの話を聞いていると


「今夜は夫が夕食を作る番だから」


などと言っていて、


《昭和男子》と《平成男子》の違いを感じずにはいられない。



「明日への活力が無いと」って、、、


私は家で座る時間は食事の時だけで、

【活力】も何も、寝る直前までバタバタしていて


「ああ、もうこんな時間だ」


と、思いながら、明日の段取りを考えながらベッドに入る毎日だった。



そんな時に、少し家事を分担したいと夫に提案した事がある。


その時の夫の答えが冒頭の言葉だ。

「自分で決めてやっているんだろう。」

「やりたくなければ、やらなきゃいいだろう。」


そう言い放った。




やりたくないからと、家事をやらずにいたらどうなるか。


食べた後に食器を洗わなければどうなる?

汗をかいた洋服や下着は洗わなければどうなる?



1日やらずにいたところで、


翌日2倍になるだけだ。



洗濯物については、天気に左右されるので

雨が降れば、更に溜まる事になる。



やりたく無いと放置すればするほど、

家事のハードルが上がるだけなのだ。


家族の健康を考えるからこそ


どんなに仕事で疲れていても


ご飯は作るし、

食器も洗うし、

洗濯もするし、

掃除も怠らない。


それなのに


「やってくれって頼んだ事はない。」


と言われた日には、絶望しかなかった。


自分は

「給料を家計に全て入れてるのだから、感謝しろ。」

というのに、


仕事をしながら、炊事・洗濯・掃除・育児をやっている私への感謝の言葉は聞いた事が無かった。




私は、子ども達の教育費だけは確保したかった。


当時小学生だった子ども達。

これから受験やら進学やらでお金がかかる。



自分の心を平穏に保つために


《家事育児をやりたくて、やると決めてやっているのは、自分だ》


と思い込むことにした。


もちろんその気持ちは偽りの無いものだけど、休みたいと思う事は罪なのか。


仕事なら休んでも、カバーしてくれる人がいる。

家事は、生きている以上決して無くなる事がないのに、休んだら誰もカバーしてくれないのは納得がいかない。


私が夜3時間家事をしている間、

夫は夜3時間くつろいでいる。


その時間は私の犠牲の上に成り立っているのだ。


2人で1時間半ずつ家事をすれば、

2人で1時間半ずつくつろげるのに、

それは許されないのか。





言っても夫は変わらないし、

余計に疲弊するだけなので、



夫の給料をしっかりと受け取る事だけに専念しようと決意した。






この話は今から15年ほど前の事だ。

息子の教育費は全て払い終わり、あとは娘だけ。

子ども達が就職して自立したら、自分の身の振り方を考えなくてはいけないと思っている。